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    子供は計画栽培はできない。

    • 2016.08.14 Sunday
    • 12:06

     

    大昔の農業は、自分がもっている種を全部ばらまいて、そこから出てきた芽を育てるというスタイルだった。

    自分の畑にどんな作物が適しているか、植えてみないとわからないからだ。

     

    じつは子育ても同じ。

     

    その話を、高校にも塾にも行かずに京都大学に入って現在、「探究舎」という塾を開いている宝槻さんという方を取材した際に伺った。

     

    子供の将来に何を期待するか?

     

    という質問を親にすると、ほとんどの親が「子供が好きなことを見つけて、それが将来、社会課題を解決することにつながってほしい」と答えるという。

     

    決して弁護士や医者になることを望んでいるわけではないのだ。そもそも計画栽培なんてできない。

     

    じゃあ、「子供の好き」をどうやって見つけるか?

     

    その答えが大昔の農業スタイル。どんな芽がでてくるかわからないが、とにかくいろんな種を蒔くこと。

     

     

    いま我が家は軽井沢に滞在中だが、昨日、家の裏を流れる川で、魚が放流されて「魚のつかみ捕り大会」が開かれた。

     

    たまたま散歩中に出くわしてハマりまくっているのが小3の次男。

     

    浅間山から流れてくる冷た〜〜いに水に何時間も入って、結局、大会が終わっても一人で暗くなるまで魚捕りに熱中していた。

     

    魚のつかみ捕りよりも、勉強させたほうがいいのでは?? そんな不安がよぎる。

     

    いえいえ、子供の好きを見つけるなら、勉強よりも魚のつかみ捕り!と自分に言い聞かせる。

     

    さかなクンのお母さんも、息子がタコにハマったとき、その後毎日1ヶ月間、タコ料理に勤しみ、「お母さんもタコが好きになったかも!」という言葉で息子を感動させ、息子の才能を伸ばした。

     

    母親ができるのは、共感すること。

     

    タコをとことん追求させて、子供のワクワクの芽を育てることが大切、と宝槻さんも言っていた。

     

    魚のつかみ捕りが将来、この子のなんの役に立つというのだろう??

     

    それはまったく予想もつかないが、大学のセンター入試がなくなる我が子たちに、知識の詰め込みだけをさせるのではなく、得た知識を使って、自分のなりの視点で意見を述べたり、得た知識から新しい知識を創造するチカラを育てたいと思う。

     

    さて、どうなることやら。

     

    夕食には、25匹ものイワナやニジマスが暗闇の中、炭火でパチパチと焼かれ、ジューシーに焼きあがった魚を家族全員でむしゃぶりついた。

     

    「でかしたぞ!」

     

    魚好きの父親に絶賛された、次男は本当に嬉しそうだった。

     

    キラキラと輝く宝のような晩餐だった。

    「人生の後半で後悔していることは?」

    • 2016.08.10 Wednesday
    • 05:53

     

    数年前にアメリカで行われた有名な調査結果を読んで「なるほど!」「やっぱり!」と感じたことがある。


    お年寄りを中心とした数百人に聞いた質問だ。

     

    「人生の後半で後悔していることは?」


    その結果、なんと約9割もの人が同じ答えを挙げました。


    その答えというのが、「人生の後悔」として、「もっとチャレンジすればよかった」というもの。

     

    人間は、自分の命を守る習性をもっている。

     

    だから現状維持と恒常性維持をする生物である。


    リスク回避は非常に大切なことだ。

     

    しかし、チャレンジせずに、失敗の少ない無難な人生を送った先に待っているのは「後悔」だった。

     

    80歳を過ぎた両親をみていて、彼らに果たして後悔はないのだろうか?と考える。

     

    そういう自分こそ、後悔はないのか???!

     

    と自分に問いかける。

     

    80歳を過ぎようと、まだまだチャレンジできることはある。

     

    だったら、一緒にチャレンジしてみないか?

     

    わたしの人生に後悔はいらない。

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      介護する家族の翻訳力

      • 2016.08.09 Tuesday
      • 12:10

       

      これまで子育てや美味しいものレシピなどを中心として「幸せに生きる方法」をブログで書いてきたが、まさか急にここで母の介護の話を書くことになるとは思ってもいなかった。

      人生は、いつも突然である。

       

      これまでは新聞やテレビなどで目にしてきた介護とか認知症、ボケ、特養、ケアマネ、点数加算などの言葉は、無機質でモノクロで他人事だったのが、いま自分のこと(当事者)として色鮮やかに感じられる。匂いまでする。

       

      「母を施設に入れることにした」

      そう父から聞いたときは、どこかの介護施設なのだろうと思ったのだが、実際に今回帰省してみて、いろんなことに驚いた。

      たとえばせっかく本人は歩いてトイレに行けるのに、施設のスタッフは「転倒して折骨が危ないから歩かせないでほしい」という。

      ケアマネージャーさんにそのことを聞いたところ、「お母様の施設はね、特養というところなんです。死ぬまで入所している施設で、終の住処なんですよ。だからね、元の生活に戻るためのリハビリ等はやらないんですよ。」と教え諭さられ、ガーンガーンと頭を殴れるようなショックを次々に受けた。

       

      死ぬまで入っている施設。がーん!

      終の住処。ガーン!

      元の生活に戻るためのリハビリはもう不要。ガーンガーン!!!

       

      そうか、特養というのは、そういう場所だったのか……。

       

      すぐに違うケアマネージャーさんに電話し、もっとリハビリができる施設にいずれ移りたいと相談した。

      ケアマネという仕事についても、なんとなく概要は知っていたものの、今回始めて接してみて、どんな仕事なのかやっと理解した。

      担当者によって要介護度の審査のようなものにも違いが生じることや、対応の違い、ケアプランの立て方の違い、コーディネートのやり方の違いなど、これはまさに専門職で、母の未来のためにも早くなんとか優秀なケアマネに出会いたいものだ!と心底思った。

       

      東京に戻ったらすぐに介護の仕事についている友人に相談してみようと、と思う。

       

      言われたままに与えられたものを受け入れているだけでは、物事はなにも改善しないことも改めて思い知らされた。

      母の食事を見ると、ご飯はおかゆ。おかずは食べやすいよう(嚥下肺炎を予防)、刻んで出されているが、食欲も戻ってなんでも食べられるようになったので、普通の食事にならないかと相談してはじめて食事が改善された。

       

      嫌なことは嫌といおう。

      こうしたいあーしたいとわがままをいおう。

      母が欲していること、母がうまく言葉にできないことを代弁してスタッフに伝える技術(翻訳力、通訳力)がどうやら家族には必要にのようだ。

       

       

       

       

      いつもハッピーなことに「触れる」大切さ

      • 2016.08.07 Sunday
      • 09:18

       

      今年のお正月ぶりに会った母が、「あなた、だれ?」という反応を示した理由がすこし、わかってきた。

      ひとは、しばらく触れないものはわすれていってしまうということ。

       

      人生、これまで生きてきて、だれもみな素晴らしい思い出をもっている。

      そのシーン、その瞬間を写真に納めて、いつでも見られるように、とくに人生に疲れを感じていたり、生きる目的を見失いそうになったときに勇気をもらうために、目の前に並べておければいいのだが、なかなかそうもいかない。

      だからこそ、旅先で自分用のお土産を買ったり、写真をとったり、SNSに投稿したりするのだろう。

       

      自分の人生の物語がつまったモノは、自分を勇気づけてくれる。

      そう思って、母が入所している施設のお部屋に、家に飾ってあった写真立てを持ち込んだ。

      飼っていた犬と一緒に母が写っている元気な頃の写真。

      わたしが息子たちと一緒に写っている写真。

      兄がスキューバダイビングしている写真。

      いつもハッピーに触れて、母の脳を活性化してくれるといいな、と思う。

       

      わたしもこれから、自分の人生の物語をカタチにしていきたいと思った。

      そうしなければ、どんどん忘れて行ってしまう。

      カメラが壊れてしまって以来、ipatで撮っていたが、もっともっと写真を撮りたくなった。

      これまで仕事で写真に関わってきたが、「写真が持つ本来のパワー」を理解できたと思う。

       

      今日は施設から母をはじめて連れ出してみる、という挑戦をする。

      家の様子を見たら、早く帰りたいと思うかな?

      はじめての外出。

      さあ、挑戦だ。

      母には、これからもずっと何かに挑戦させていきたいと思う。

       

      口紅をひく。これも挑戦。

      パジャマじゃなく、洋服を着る。これも挑戦。

      施設で食べる夕食じゃなく、外へお寿司を食べに行く。これも挑戦。

      小さな挑戦をつづけていこう。

       

       

      母を支える父の毎日

      • 2016.08.05 Friday
      • 10:26

       

      母親が肺炎になり、1ヶ月ほど入院している間に歩けなくなってしまった。

       

      父親が一人で自宅で面倒を見るのは大変なので、施設に入ることになった。

      お見舞いにも行けずに申し訳ないと思いつつ、

      仕事の都合をうまく調整して、やった秋田に帰省した。

      そして、母のいる老人介護施設にはじめて訪問した。

       

      お昼ご飯をこれから食べるという車椅子に乗った母の背後から、

      「帰ったよ〜」

      と声をかけた。

      振り向いてわたしの顔を眺め、父に「だれ? この人だれ?」

      と何度も訪ねた。

      しばらくして自分で「あっ!」と気づき、「よく帰ってきたね」と笑った。

       

      ドラマでよく見るようなシーンだが、母親が自分の娘の顔を忘れるとは。

      すこしボケてきているようだ、と父は言っていたが、ショックだった。

       

      「家に帰りたい?」と聞くと、

      「ここの人たちは、みんな優しくていい人ばかりで、すごく親切にしてくれる。

      家に帰ろうかなと言ったら、遠慮しないでずっといたらいいよ、と言われた」

      という。

      じつに居心地が良さげだ。

       

      施設では歩くため・自立のためのリハビリ等はまったくやっておらず、

      父が歩かせる練習をさせようとしたら、転んだら危ないからやめてくれと言われたという。

      車椅子にじっと座ってくれていたほうがスタッフ的には安心らしい。

       

      なんだか切ない。

       

      「ああ、お腹いっぱい」と言って部屋に戻ったらすぐに、

      「お腹すいた」と言って、父が持って行ったおせんべいとかドライフルーツとかパクパクと食べる。

      これもボケなのか?

       

      切ないなあ。

       

      わたしは母のために何ができるのだろうか?

       

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