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    ノーブラ主婦宣言

    • 2013.04.26 Friday
    • 06:14
     
     不妊、出産、2人目流産、しつこい歯周病……などの経験を経て、自分の体のことをそれなりに研究してきた。
     ところが昨日、取材先でお会いした先生は、わたしのこれまでの概念を覆した。
     呼吸するなら「腹式呼吸」より「胸郭呼吸」がいいという。
     えっ!!

     これには驚いた。
     胸での呼吸は息が浅くなるため良くない、というのがわたしが今まで読んできた健康本の常識だったからだ。
     胸で息を吸うようにすれば、胸郭が広がり、肺にたくさん空気が入る。
     膨らんだところが陰圧となり、ブラックホールのように吸い込む力が働く。
     すると下半身にある腸、子宮などが引き上げられ、これまで下垂によるお腹ポッコリ&圧迫による血流不全が改善されるというのだ。
     婦人科系はもちろん、肺気腫などの病気にもこの「胸郭呼吸」は良いという。
     これはすごい。
     さっそく始めねば。

     始めるにあたってまずすべきことはキツいブラジャーをやめること。
     わたしは売場では必ず測ってから買うようにしているが、それでもダメらしい。
     できることならノーブラがベスト。
     これなら胸郭の圧迫がないため、お腹ポッコリも改善される。
     よし、今日からノーブラだ!

     ところで先生いわく、乳製品と卵、肉には女性ホルモンには悪いらしい。
     いつまでも若々しく美しくいるためにこれら食品やめるべきか??
     とりあえずダンナの弁当は肉なし卵なしの詰めるだけ弁当にしてみた。
     なにはともあれ、健康第一。

     あと先生いわく、
    「こだわりは人間の多様性を欠く」
     という名言をぽつり。
     こだわりは良くもあり悪しくもあり、こだわりがないほうが人生を楽しめるとのこと。
     確かに!

     それから先生いわく、
    「ストレスは人生を活性化する」
     ストレスが人を成長させる。
     ストレスのない勉強は伸びないと。
     確かに!

     ビバ! ストレス。




     
     

    またまた買うより作るが楽しい

    • 2013.04.25 Thursday
    • 11:11
       
     息子のバッグを作りました。  
     笛とか入れるバッグがほしいと言われ、さっそく家にあったコーヒー麻袋で作成。  

     気に入ってくれるかな?

    買うより作るが好き

    • 2013.04.24 Wednesday
    • 10:23
     
     デブショウである。
     デブではく、出るのがブショウ。
     出不精。
     
     買い物にはわざわざ時間をとって出かけることはせず、
     ギリギリあーもうダメ、というところで渋々買い出しに出るか、出かけたついで何か適当に買ってくる。
     
     日曜日のランチ、家に食べるものがなにもなく、買い物に出るのはどうにも億劫。
     まして雨など降っていたら、もうゼッタイに出ない。
     そこでどうするか。
     だいたいいつも常備しているのが、強力粉、ねぎ、生協さんの冷凍パラパラひき肉(パラパラなので使いたい分だけ使える大変使える冷凍肉)、乾物(はるさめ、きくらげ)。
     さて、これでなにを作れるか?
     
     ヤミーさんの料理本を見ていたら、あった。
    「お焼き」だ。

     
     強力粉と薄力粉を半々に混ぜ、塩と砂糖を加え、熱湯で少しずつ注ぎながら生地をこねる。  
     15センチくらいの大きな餃子の皮を作って、種を混ぜて口を閉じて油で焼く。種はひき肉、しょうが、ネギ、はるさめ、味噌など。

     自慢じゃないが、こんなに美味しい「お焼き」を食べたのは初めてである。  
     焼きたてお焼きを食べたのは初めてだが、お焼きってこんなに美味しい食べ物だったのか!!!!  
     子供たちはハフハフ言いながら、家にあったバルサミコ酢をつけながら美味い美味いと食べ、ママはバルサミコ+ラー油でハフハフ。  
     バルサミコは黒酢に似た旨味があり、中華にとても合う。

     買い物嫌いのデブショーは美味しいものにありつける。  
     ところで、このような美味しいお焼きはどこで売っているのだろう?  
     おそらく売っておるまい。  

     デブショーの特権なり。

    「量」でも「質」でもなく「使い方」

    • 2013.04.23 Tuesday
    • 09:35
     
     タイに旅行に行ったという話をすると、
    「えっ? 家族でいくらかかったの?!」
     とか、
    「えっ? うちはお金ないから無理だわ」
     などお金の話を持ち出す人が多い。
     
     ちなみにわたしはお金持ちではないし、ケチである。
     納得できることに納得できる金額であれば「バーン」と支払うが、
    「えっ? これで1000円!!」
     といったようなことにお金を支払うハメになったときは、相当腹が立つ。
      
     タイで食べたこの揚げパンは、5個セットで100円。

     物事には「それに見合った適正価格」というのもがある。
     それは人それぞれ違い、状況によっても異なる。
     わたしがタイを大大大好きなのは、
    「えっ、これで100円!!」
     みたいな素晴らしい屋台料理が道端で軒を連ねて売られているからだ。
     わたしが興奮するのも無理はない。
     道端で売られているマンゴーなどは2キロ(5、6個)で300円!
     興奮である。

     以前、友人と革製品のバーゲンに行った時、
    「これ、どう? 素敵だと思わない?」
     と彼女が手に取ったバッグが10万円。
    「旅行用にぴったりじゃない?」
     と訊かれて答えに窮したことがある。
     自分ならそのバッグに10万円という金額は絶対に払わないからだ。
     きっと彼女はお金に困ったことがなく、ダンナさんの稼ぎが良くて自分の給料は好きなように使える立場の人なんだなと感じた。
     
     でも、お金は量ではなく質でもなく、使い方なのではないだろうか?
     もしかしたら時間も同じではないだろうか?
    「量」でも「質」でもなく、どう「それ」を使うか?
     忙しい会社員時代では使い方までこだわらず、量を稼ぐことに精一杯だった。

     しかし、フリーとなったいま、
    「使い方次第で人生は豊かになる!」
     を実感している。
     
     
     

     


    9歳の息子と共通の趣味を持つ幸せ♡

    • 2013.04.22 Monday
    • 11:41
     
     わが家にはDSはない。
     なぜならわたしたち夫婦がやらないから。
     答えは明確だ。

     長男はDSにはほとんど興味を示さないので、これまでゲーム機器を購入することなくやってこれたが、次男にいたってはゲームが大好きだ。
     お友だちが持っているWiiやスマホのカメラには興味津々。
     この子にはなにかしかしらのデジタルアイテムがあったほうがいいだろうと考え始めている。

     さて何を購入しようか?
     いま考えているのがipad。
     これなら教育系も充実しているし、いずれ学校でも導入の運びになるだろうから買ってもムダはない。
     漢字の書き順、計算、将棋、カーレース、英語絵本などなど、あらゆることがこれ1台で済む。

     サンタさん。
     是非今年はわが家にipadを宜しくお願いします。
     次男の教育と娯楽はこれでまかないます。

     さて、長男。
     長男は映画が大好き。
     昨晩は長男の友人に勧められたというチャップリンの「黄金狂時代」を観てふたりで大笑い!

     その後、妙にテンションが上がったわたしたちは、プリンターから原稿を出力する音、
    「♪ちちちちーっちっっちちちーーー」
     に合わせて踊りました。
     さらに大爆笑。
     幸せ♡



    わが家のバイブルと「小確幸」

    • 2013.04.19 Friday
    • 09:36
     
     帰る場所があるとホッとする。
     困った時に相談できる信頼できる友人がいると安心する。

     それと同じような存在の本がある。
     それがこれ。
      
     本はほとんど買わなくなってしまったが、久々に買った本。
     古本だが。

     息子たちが、自己の存在意義に悩んだ時や人生の目標を見失いそうになった時や恋愛の悩みなど、深刻なことからつまらないことまで、あらゆる疑問悩みに対する答えがこの本のなかにある。
     しかも、わたしならこう答えるかも? という予想をはるかに超えている。
     親に相談しずらい時は、ぜひこの本に相談してほしい。
     この本になら、信頼してうちの息子たちを預けられる。

     もし子供に、「理不尽なことを言われたら、どうする? 」「どうしたら自分を好きになれる?」なんて訊かれても親は答えられるものではない。
     子育て中のすべて人にオススメの本である。

     そろそろ新作も読みたいところである。
     読みたい本があるというのは、春樹氏の言う小さいけれども確かな幸せ「小確幸」であると感じる。

       

    それは本当に自分の夢なのか?

    • 2013.04.17 Wednesday
    • 09:37
     
    『アンダーグラウンド』を読み終えた。
     この本は1995年3月20日、月曜日に起こった地下鉄サリン事件の被害に遭われた人62人から、
    「それはあなたにとってどんな一日だったのか?」
    「そこで何を見て、何を体験して、何を感じたのか?」
     といった質問を村上春樹本人が直接被害者に話を聞いてまとめたノンフィクション書き下ろしである。

     すごい本である。
     同時代に生きる人間として思う。
     たとえ彼が一般人とは異なる有名作家という特別な立場であったにせよ、このような困難な仕事を達成し得たことに深く感動する。

    「こちら側(一般市民の論理とシステム)とあちら側(オウム真理教の論理とシステム)とは一種の合わせ鏡的な像を共有していたのではないか」
     と筆者は述べる。

     彼らの存在を、論理的思考システムの中からがんばって意識的に排除しなくてはならかったのは、心理学的に言えば、生理的に毛嫌いし、激しい嫌悪感を抱くとき、それは実は自らのイメージの負の投影であるという場合が少なくないからなのではないかと。

     毛嫌いしている存在は、自分自身の投影でもある。
     鏡の中の像は、ひどく歪み、凸と凹が入れ替わり、正と負が入れ替わり、光りと影が入れ替わっているが、そこに映し出されている像は不思議に相似し、呼応しあい、我々が直視することを避ける自分自身の内なる影の部分(アンダーグラウンド)ではないか、と。
     
     筆者は問う。

    「誰か(何か)に対して自我の一定部分を差し出し、その代価としての『物語』を受け取ってはいないだろうか?
     私たちは何らかの制度=システムに対して、人格の一部を預けてしまっていはいないだろうか?
     今持っている夢は本当にあなたの夢なのだろうか?」
     
     気がつくと、それは自分の本当の夢ではなくなっていることがある。
     つねに注意しなければすぐに呑みこまれる危険がある。
     たとえば、良い学校に入学すること。
     それは本当に自分の、あるいは子供の夢なのか?
     
     わたしは飲みこまれないよう、たとえシステム(高度管理社会)に適合せずに苦痛を感じようと、
     システムに適合しないことが病気といわれようと、
     たとえそれを誰かが適合させようと「治療」しようとしても、
     自律的パワープロセスを求めていきたいと思う※。
     それは厳しい戦いではあるが、システムに自分を丸ごと預けてしまう危険に比べたら、この道を選択するしかないと感じている。

     それは本当に自分の夢なのか?
     


    ※雑誌「世界」96年6月号に越智道雄氏が、アメリカの連続小包爆弾犯人、 ユナボマーについて文章を書いておられ、その中にユナボマーが『ニューヨーク・タイムズ』に掲載させた長い論文の一部の引用から「システム(高度管理社会)は、適合しない人間は苦痛を感じるように改造する。(中略)自律的パワープロセスを求めることは『病気』とみなされるのだ」
     

     

    どんな騒動にも巻きこまれないコツ

    • 2013.04.11 Thursday
    • 13:02
     
     世の中でどんなことが起こっても、それに左右されない生き方を目指している。
     まあひと言でいってしまえば、たとえお金がなくても幸せに生きる方法、あるいはどんな騒動が起こっても精神的に平然といられる方法。
     それを実現させるひとつの方法が「弁当」。
     いま手元にあるカード(食材)で何を作るか?
     そのゲームに強くなると、けっこう状況に左右されない生き方を手に入れられる。

     うちはダンナが毎日弁当を持って出る。
     買うと不味いし、高いし、不健康。
     健康のこと、家計のことを考えれば、やはり弁当に限る。

     7時半に家を出るので6時半に起きて用意を始めるが、だいたいは残りものや常備菜、玉子焼き程度でチャチャッと作る。
     弁当作りはやってみると、意外に単純。
     やってみるとわかるが思っている以上に面倒な作業ではない。
    「面倒ではない」と思える至るには、やはりそれなりに経験を積んできたのだろう。
     何事も経験である。

     あー、今日は面倒だな、と作るのが煩わしいときは、日の丸弁当。
     あー、今日はなにもない、というときはおにぎり。
     あー、ご飯炊くの忘れた、というときはハムとチーズのサンドイッチ。
     つべこべ文句もいうことなく、ダンナは大層有り難がって食べてくれる。
     こちとら有り難い。
     しかも、ちゃんと弁当箱も洗ってくれる。 
     えらいねー、とわたしのママ友に褒められると照れながら、
    「当然ッス」
     とうつむきながらポツリ高倉健のように返す。
     ダンナのお父さんもそうやって妻に仕込まれていたらしく、さすがはその背中を見て育っただけのことはある。
     そういう義母は70過ぎても現役で働く夫のために4時には起きて弁当をいまだ毎日作っている。
     すごい。
     義母は尊敬に値する。

     狛江の中学は給食センターが整備されておらず、民間の給食センターに依頼して注文しておくボックスランチといわれるもの。
     しかし、この春突然の契約不更新でてんやわんやの騒動があったらしい。
     一時は300円予定の弁当が500円超えのうわさもあったらしく、いま450円というところで落ちついたらしい。
     2日で900円。
     900円もあれば、いい肉を買える。
     それで焼き肉弁当でも作ればかなり豪勢な弁当だ。

     うちの息子の頃はどうなっているだろう。
     いずれにせよ、市が国が未来がどんな騒動が起ころうわたしには関係ない。
     弁当ひとつで世の中のどんな状況にも左右されない。
     カッコいい。
     ちなみに「火をおこす経験」も、けっこう左右されずにカッコよく生きられるコツです。



     




    可哀想なのではなく「たくましい!」のだ

    • 2013.04.10 Wednesday
    • 11:10
     
     今年度からタイムスケジュールが変わり、
     火曜日は英語のレッスンが夜7時まである。
     家に帰ると7時半をまわり、それから家族でみんなでご飯を食べることになる。

     それまでの時間、兄弟で留守番をするのだが、
     5歳と9歳の2人でどのような時間を過ごすのだろうか。
     心配だ。

     心配性の祖父母に言わせれば、そんな遅い時間まで小さな子供たちに留守番をさせるなんて、
    「かわいそう!」になるのだろうが、
     見方を変えれば、
    「たくましい!」である。

     兄ちゃんのユーゴーが5時に弟を迎えに家を出る。
     なんと勇ましいではないか。
     ユーゴーは歩くのが遅いので、おそらく往復1時間近くかかっているはずだ。
     なんといいエクササイズではないか。

     昨日は、おにぎりと簡単なおかずを用意して出かけ、なんとか7時半までお腹は間に合ったかと思いきや、帰って第一声が、
    「お腹すいたー!」
     である。
     なんとたくましい。
     
     牛乳は出しっ放しで、留守番を褒める前についつい叱りそうになるが、はたと見ると牛乳を入れたコップが緑色になっている。
    「?」
     そうか! かき氷のメロンシロップを入れてメロン牛乳を作って飲んだのか。
     なんと気の利いたたくましさ!

     たくましくなれよ。
     ママはおまえたちが誇らしい。

      
     これはバンコクでタイ料理を食べる2人の姿。
     食欲旺盛。

     バンコクでは道端で物乞いをしている親子をよく見かける。
     子供はサンサンと照りつける陽射しのなかで昼寝をしている。
     これは「かわいそう」なのか?
     どんな環境のなかでも平気で昼寝をして生き抜く子供の姿がとても美しく見えた。


     
     


     

    新しい価値観と酸っぱみかん

    • 2013.04.08 Monday
    • 15:55
     
     狛江にある農協マインズで柑橘系みかんを買った。
     デコポンのように甘いものではなく、5個入って150円。
     おそらく酸っぱくて不人気だから安いのだろう。

     酸っぱさは覚悟のうえで買ったのだが、とにかく酸っぱい。
     涙が出るくらい酸っぱい。
    「これはまるでレモンだ」
     と吐いたダンナのセリフにハッとし、そうかレモンとして使えばいいのかと閃いた。

     我ながらいいアイデアである。
     自分の気づきと閃きに満悦しながら、得意げにトンカツにキャベツと一緒に酸っぱみかんのスライスを添えたら、なんとチビがそのスライスの果汁をご飯の上にギュッと絞っておいしそうに食べているではないか!
     
     ところがダンナが
    「それは変だよ」
     とダメだしする。
    「いやいや、素晴らしい」
     と絶賛するママ。
     価値観というのはこんなにも違うものである。
     おもしろい。

     レモンスライスをお弁当の上に乗せたりはよくあることで、
     みかん果汁で酢飯風ご飯を作ったり、ドレッシングを作ったり、
     そのドレッシングにキュウリやトマト、ご飯を混ぜ込んでサラダご飯にしたりなど、
     ご飯とみかん果汁の組み合わせは十分「アリ」なのだ。

     見たことないことや知らないことをついつい人は否定してしまいがちだ。
     それはダメではなく、いつでも「もしかしてアリかも?」という視点を持つことの大切さをチビが教えてくれた。

     わたしは頑固になっていないだろうか?
     1つの価値観に固執していないかだろうか?
     ものも見方が一方的になっていないだろうか?
     
     いつでも自分自身に問いかけることを忘れないでいたいと思う。


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