東京スカイツリーを間近で見る
- 2012.08.28 Tuesday
- 15:03
わざわざ話題の観光スポット「スカイツリー」に行くつもりはなかった。
それがラッキーなことに、日曜、月曜と続けて、
浅草というか押上というか蔵前というかスカイツリーがどーーーーんと大迫力で見られる場所へ仕事に行ってきた。
朝のスカイツリー、
夕暮れのスカイツリー、
夜景のスカイツリー…、
じつにさまざまな時間帯の表情の異なるスカイツリーを眺める機会に恵まれ、つまり1日中時間仕事していたわけだが、吾妻橋の下を走り抜ける観光船や電気ブランで有名な神谷バーを横目に、今度は子供たちと一緒に浅草ツアーに来ようと決意した。
夏休みの思い出に、東京観光も悪くないかもしれない。
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牢獄から脱出した朝
- 2012.08.26 Sunday
- 07:57
「それ」があると人生を豊かにし、自由や爽快感、リラックス、集中力が得られると思っていた。
でも、「それ」がなくなると、不安に陥り、イライラし、
手に入れるまではそのイライラと不安の牢獄に入れられる。
本人は牢獄とはまるで気づかず、
自由や爽快感、
リラックス、
集中力、
人生を豊かにする、
よろこびが得られる場所だと思っていた。
わたしは「それ」が少なくなってくると、とたんに不安になる。
なくなったらどうしよう…。
買いに行かなきゃ…。
もう頭は「それ」でいっぱいになる。
子供の頃見た「太陽に吠えろ」の麻薬患者と同じ状態である。
「それ」に完全に支配されている。
それがいやでやめようと思った。
牢獄のカギは自分で持っているのに、
だれも拘束していないのに、
この牢獄から出られない。
いつでもやめられると思っていた。
今年の初夏に初めて1ヶ月、やめてみた。
禁断症状に苦しみながらも、1ヶ月持ちこたえた。
1ヶ月がんばったご褒美に、「それ」を1本吸ってみた。
1本が2本…と増え、前以上に増えてしまった。
もうおわかりだろうが、「それ」はタバコである。
タバコなんてやめようと思えばいつでもやめらるとタカをくくっていた。
それが実際、その中毒度は非常に強く、
なくなると不安でたまらなくなる。
もうパニック状態である。
ある日、もうこんな自分はイヤだ、と思った。
じつに自分らしくない。
そう思い、やめることを決意したが、挫折。
ますまず自分らしくないと落ちこむ。
もうこんな自分はイヤだーーーー!
そこでアレン・カー著『読むだけで絶対やめられる女性のための禁煙セラピー』を読んでみた。
このセラピーの成功率は90%以上。
この方法で、世界中の何百万人タバコをやめている。
すぐに簡単にやめられて、一生効果が続き、禁断症状も出ず、意志の力もいらないという。
今朝読み終わった。
そしてわたしは今日からノン・スモーカー。
タバコから自由の身になった!
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虹の雨
- 2012.08.24 Friday
- 08:43
先日、西の窓からはすごい雨が吹きつけ、
東からはすごい太陽が照りつけた。
わたしはいま境界線にいる。
赤道をまたいでいるような、
雲の上を歩いているような、
不思議な気分。
もしやと外を見ると、やはりあった。
レインボー。
Lucky me!
いい兆候だ。
あらゆることにメッセージが隠されているように、
そこにある景色から希望を読みとる。
Hope for tommorrow!
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アサーティブな会話を
- 2012.08.22 Wednesday
- 09:31
図書館で借りた『18歳からのメンタルトレーニング』という本を読んでいたら、
「アサーティブ」という言葉に出合った。
英語では、
assertive
押しが強い、自信満々のという意味だが、
メンタルにおいての意味は、
アサーションは「自己表現」。
感情に任せて相手の気持ちを無視する「アグレッシブ」な態度でもなく、
自分の考えを言わずにあいまいにしつつ、いっけん相手を尊重しているように見せながらも自分に不正直であるために恩着せがましさや自己犠牲の欲求不満をためこんであるとき急に感情を爆発させる「ノン・アサーティブ」な態度でもなく、
アサーティブとは、
自分の気持ちを建設的に正直に・率直に・場にふさわしいやり方で述べることをいう。
理想的だが、これがなかなかできない。
つねにアサーティブである必要はなく、暴力的な反応をしそうな相手には「ノン・アサーティブ」でもいいとは書かれているが、
できることならもう少しうまく自己表現ができるようになりたいと思う。
ついつい自分を少しでも誤解なく理解してもらいがために焦って多弁になり、相手の話に耳を傾けることを忘れてしまったり、自分の考えを押しつけてしまったり、自分の自慢話になったていたり、
ついついあいまいな態度でてきとうにごまかしてしまったり、
正直に率直に言おうとしたばっかりに相手を傷つけてしまったり。
以前わが家に数人のママ友が初めて遊びにきた時、
うちのパパが、ある一人のママに、
「あなたは、本来の感情と自分の目指す理想と実際の行動がすべて少しずつズレている」
と言った。
すると隣りに座っていたママが、
「じつはわたしもずっとそれを感じていた。
いきなりそれを言っちゃうって、すごい」
と盛り上がり、言われたママが「えっ、ズレてるのって、いいの悪いの????」とうろたえてしまった。
そのママの心の泉に投げ込まれた小さな石が同心円となってじわじわ広がっていくビジュアルが浮かんだ。
良いも悪いもないけどそのズレに自分で気づくことが大事なんじゃないの、とその場はおさまった。
それにしても英語とはなんと便利な言語なのだろう。
「自分の気持ちを建設的に正直に・率直に・場にふさわしいやり方で述べること」と、
ひと言で「アサーティブ」と言えてしまえるところがをいい。
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2012年の味噌
- 2012.08.21 Tuesday
- 09:40
今年3月に仕込んだ味噌がいい感じに仕上がってきた。
なすとピーマンの味噌しぎを弁当のおかずにしたり、
味噌とマヨーネーズのディップにして野菜スティックを食べたり、
おにぎりにまぶしたり、
味噌味の炒り玉子にしたり、
でれもこれも、うまいっす!
味噌汁にするには熟成がいくぶん足りなかったので、もうすこしこの暑さのなかで寝かせてみることにする。
今日は油揚げの味噌漬けを作ってみる予定だ。
夕暮れのビールタイムが極楽タイムになることだろう。
そういえば、先日、嬉しいことがあった。
息子たちとテレビを見ていたら、
コマーシャルでお母さんが作ってくれたごはんを子供たちが、
「ママ、おいしいね」
「ママ、おいしいね」
と絶賛しながら食事をしているシーンがあった。
そしたらチビがボソリと、誰に言うともなしに、
「うちのママのごはんのほうがおいしいよ」
と画面から目を離さずつぶやいた。
そこにはママにおべっかを言っている様子はまるでなく、
バラエティーニュース番組を見ながらコメンテーターの発言に一人ボソリと文句を言っている主婦のような本心のようなものがあったので、
思わず「ぷっ」とふきだしてしまった。
ママのごはんのほうがおいしいよ。
これは真実である。
子供にとって、ママのごはんは世界一なのだ。
幸せである。
「どうしてママのごはんはおいしいの?」
とチビが聞いてきたので、
「どうしてコーダイ君はかわいいの?」
と返したら、すかさず、
「どうしてユーゴーはやさしいの?」
とチビが返してきた。
幸せです。
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北軽井沢の贅沢な日々
- 2012.08.20 Monday
- 10:13
↑写真手前がユーゴー、右はチビのコーダイ。
そして、祖父のぶおと祖母のぶこ。
先週は軽井沢に1週間ほど滞在し、新潟の祖父母とも一緒に過ごした。
気温が19度。
湿度も低く、なんとも快適。
デッキでビールやワインを飲み、とうもろこしを食べ、まるで心に羽根が生えてしまったような自由な気分。
↑北軽井沢の野菜直売所で売られているトウモロコシは絶品!
わたしはおじいちゃんおばあちゃんが早くに亡くなったため、子供の頃にこんなふうに祖父母と一緒に時間を過ごすことができなかった。
うちの息子たちは幸せだ!
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ビストロヤミーの裏方として参加
- 2012.08.18 Saturday
- 09:25
いま4歳になるチビを妊娠している時、一人の女性と出会った。
カルディでバイトしながら料理ブログで大人気になったヤミーさんだ。
本を1冊出版したばかりの頃で、もちろんテレビにも出演しておらず、
まるで焼きたてホカホカのパンのような、土から芽を出したばかりのフレッシュな野菜ような存在だった。
そして、あれから5年。
彼女は美しく可憐な花を咲かせた。
人の成長を見続けるというのは、なんと幸せなことだろう。
自分の子供の成長を間近で見ているのと、まったく同等の幸福である。
『ヤミーさんのお気に入り!あの人に教えてもらったレシピ帖』の発売を記念し、ビストロヤミーが先日開催された。
料理仕込み隊として、当日参加させてもらった。
彼女のまわりにいるスタッフはなぜいつもあんなに男も女も可愛い人なんだろう。
一緒にキッチンで仕事をしていると、それだけで幸せな気持ちになる。
仕事すること、料理を作ることって、こんなに幸せなことだったんだと気づかされる。
これから彼女はどんな花を咲かせ、どんな実をつけていくのか、その成長をこれからも楽しませてもらおうと思っている。
美味しい実ができたら、塩とオリーブオイルをかけて頭からパクリといただかせていただきますね♪
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世界の終わりと狛江
- 2012.08.16 Thursday
- 09:54
村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読んでいる。
これで3回目?だろうか。
どういうストリーかを説明するにはあまりに壮大すぎる話だ。
軽井沢から帰り、狛江に着き、違和感を覚える。
どちらも現実の世界だが、
どちらも幻想にも思える。
今朝、通常通り、息子とダンナの弁当を作り、みんなを送りだすが、まだこっちの世界に馴染めないでいる。
だからイライラする。
朝からチビが台所でわたしの足に絡み付いて、ぐずぐずゴロゴロしているので、弁当づくりの邪魔になってしかたない。
ついイライラしてそのイライラを吐きだしてしまった。
うるさーーーーーい!!!
どうやらメンタル的に言えば、「怒り」という表現方法は、「二次的感情」と言われるらしい。
怒りが本来の理由ではなく、本質は別にある。
寂しいが怒りになり、
つらいが怒りになり、
自分をわかってくれないが怒りとして発露する。
わたしの今朝の怒りは、完全にこっちの世界との不調和にある。
怒鳴られたチビは完全に被害者であるが、
ちびのぐずぐずゴロゴロもこっちの世界との不調和なのだろう。
そのなかで、たんたんと日常をこなしていたのが長男のユーゴー。
あっちもこっちもどこでも自由に行き来できるフリーな魂を宿すユーゴーは、やはりただ者ではない。
さてと、そろそろこっちの世界に同調しよう!
お盆開けはイライラしてしている人が多いので、「こっちの世界との不調和」ととらえれば、少しは怒りもおさまるかもしれない。
自分の本質に気づくのは本当にむずかしい。
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日本のルールではなく自分のルール
- 2012.08.10 Friday
- 08:41
わたしは日本が好きだ。
でも子どものころから海外、パリでもバルセロナでもニューヨークでもバンコクでも、雑誌やテレビや漫画で海外の映像を目にすると、無性に行きたくなる。
なぜなんだろう。
考えてみると、自分がいる場所から抜けて出して、親が考える常識や狭い地元のルールから早く解放されたかったのだ。
東京に出て、やっと自分が自分でいられる自由を感じた。
親のしばり、地元ルールのしばりがどれほど自分を苦しめていたのかを知ったのだ。
わたしはちょうどいまから5年前に会社を辞め、完全なフリーとなった。
フリー。
自由。
それまでは会社のなかで「他人と自分を比べること」で、自分の存在意義や存在価値をはかっていた。
さらにフリーになったあとも、あいかわらず良い給料をもらっている人や有名な出版社と仕事をしている同業の人を羨んだ。
ある時、気づいた。
他人と比べたり、他人を羨む人生などなんとくだらない人生だろう。
バカみたい!
有名な出版社と仕事をすることや良いギャラがわたしを満足させてくれるのではないのだと。
これはわたしにとっての大きな気づきだった。
以来、本当のフリーになった。
フリー。
自由。
そして、わたしが英語をいまでも勉強している理由はそこにある。
息子たちに英語を教えている理由も同じだ。
わたしは外国人と話しているいつでも自由になれた。
日本という枠を超えて、さまざまな価値観やルールと出合え、どんどん自由になれるのだ。
長男はいま新潟の祖父母のところへ行っている。
今日でちょうど1週間。
東京と親の価値観の枠を超えて、息子はどんなことに出合ったのだろう。
明日、長男と軽井沢で合流する。
1週間でどれだけの枠を超えたのかを見るのが楽しみだ。
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人生は小さなおにぎりの連続
- 2012.08.09 Thursday
- 10:01
4歳のチビが熱を出した。
夏風邪だろうか。
嘔吐もあり、ご飯をぜんぜん受け付けない。
そこで小さくて可愛いひと口サイズのおにぎりを作ってみた。
昨日はご飯も食べられず、食べたそばから嘔吐し、一日ぐったり。
本当はなにか栄養があるものでもべた方がいいのだろうが、試しに夕方「アイス食べる?」と聞くと「食べる」と言う。
気晴らしに2人で散歩に出て、本人が食べたいアイスをコンビニで選ばせた。
家ではぐったりしていたはずが、歩いている姿はまるで病人に見えない。
嬉しそうにぺろりとアイスを食べたら、嘔吐の繰り返しだったチビが、その後ケロリと元気に。
おかゆも、果物も、ジュースも全然受け付けなかったのに、驚いた。
今朝はおにぎりを3つ食べた。
本来はこれくらいは食べさせたい目標(ゴール)であるご飯茶碗1杯分を最初から食べさせるのが無理だが、これくらいなら食べられそうだなという小さなおにぎり(リアル)からスタートしたら目標がいつのまにか達成していた。
そして、その時気づいた。
本来はこれくらいは食べさせたい目標(ゴール)は固定概念だったり世間体だったり自分のプライドだったのだな、と。
長男は右手右足がうまく使えないが、わたしは以前、他の子と同じように「普通に」できることを目標(ゴール)にしていた。
しかしある時はたと自分の間違いに気づき、固定概念と世間体と自分のプライドを捨て去り、目標を息子そのものの「リアル」に設定した。
自分でTシャツが着れるようになればOK。
自分で歩いて学校に行けるようになればOK。
リアルな目標に設定し直し、それをクリアしていくことで、息子にどんどん自己肯定感が生まれ、自信をつけていったのだ。
いや、そもそも息子は始めから自己を肯定していた。
自己否定していたのは、わたしだったのだ。
人生は小さなおにぎり。
大きなおにぎりを食べるのは難しいが、小さなおにぎり1つくらいなら食べられる。
そしてそれが人間の自信となり栄養となる。
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