ただいま再生中
- 2012.04.27 Friday
- 10:38
歯が痛い。
歯肉が赤く腫れる。
原因は虫歯ではなく、歯周病。
そして歯周病の原因は、プラーク(歯垢)。
歯垢とは食べカスではなく、菌の塊で1グラムのなかになんと約1000億もの菌が潜んでいるという。
とはいえ、いくら歯垢をとっても菌を完全に除去することは難しく、健康な人の口の中に虫歯の原因となるミュータンス菌を入れても、必ずしも虫歯になるわけではない。
膿が出ているのは歯肉からというより、歯槽骨といわれる歯を支える骨が溶けていることによる。
歯を支える骨が溶ける!!!?
はじめ本でそれを読み(丸橋賢著『ほんとうは治る防げる歯槽膿漏』農文協)、びっくりたまげた。
骨は溶けるのだ。
年をとると歯が抜けるのは、虫歯のせいかとずっと思っていた。
抜けてしまうのは、骨を支える骨が溶けて半分、それ以下になって支えることができなくなって抜けてしまうだ。
ミュータンス菌のえさは、主に砂糖。
菌が酸を作り出して歯を溶かす。
しかも砂糖は体内のカルシウムを奪う。
砂糖が大量に入った清涼飲料水をよく飲んでいる人は注意が必要だ。
結局は、食生活が大切だということ。
免疫力を高める生活習慣も大切。
大切にしていけば、骨は再生していくと丸橋賢先生は書かれている。
果たして再生するか?
ただいま挑戦中です。
- からだ
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人生の目的を見つける作業
- 2012.04.25 Wednesday
- 09:22
大学に合格したら、この焦燥感は消えるのか?
就職したら、この苛立ちは収まるのか?
彼氏が見つかったら、寂しさは紛れるのか?
結婚したら、安定が手に入るのか?
いいえ。
なにも変わらない。
なにか物事を達成しても、生まれてくる時に自分に与えられた人生の目的を果たせないうちは、この焦燥感が消えることはない。
自分が担当した本が初めて出版された時も、現実感がなく、嬉しさは束の間すぐに消えていった。
常に、なにか違うなにか違うと焦りながらさらなる向上を目指すが、進学・就職・本の出版などといった目先の目標を達成しても、満足感は得られず、それが普通になり、逆に満たされない思いに失望感さえ味わう。
そして、新しい目標を次々に設定しハードルを高めていく。
わたしは、やっと今、この焦燥感から抜けだせた。
抜けだせたと感じたのは、子供のための英語教室運営を決意した時だった。
その決意は、紛れもない「内なる声」だった。
この内なる声は、実はわたしが子供の時から何度となく繰り返しメッセージとして送られてきていた。
メッセージは、正しい形で意識が向けられるまで、繰り返し繰り返し本人が気づくまで送られ続けるという。
それまでの自分をふりかえると、有名な出版社で原稿を書くことやギャランティの良い仕事をすることや他人が羨むような仕事をするといった「エゴ」に縛られていたことに気づく。
エゴの声は首尾一貫せず、常に変化し続ける。
エゴの声は瞬時の決断や刹那的な行動を強いてくる。
この声に従っているうちは、常に目の前にある心配事を解決することで手いっぱいになり、人生の目的について考える時間がなくなる。
常に怖れがあり、
常に何かが足りないという強迫観念に縛られる。
「足りない」のではなく、すでにもう自分に「備わっている」。
それを信じたい。
すでに備わっているものを正しい形で使いたい。
わたしは一般的に幼稚園の先生を目指すような子供好きなタイプではぜんぜんないのだが、子供たちがすでに「備わっている」ものを正しい形で発揮できるための手助けをしたいと思う。
だからこそ初めての就職先が学校だったのだ。
秘書をやったり出版社に勤めたりしながら少し遠回りしたが、いま焦燥感や強迫観念を抱くことはない。
焦燥感や強迫観念は人を疲労させる。
シェリー。
いつになれば、俺は這い上がれるのだろう。
シェリー。
どこに言えば、俺はたどりつけるのだろう。
生まれてくる時に自分に与えられた人生の目的に気づけば、少しずつ解放されていくのではないだろうか。
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やるべきことは1番に!
- 2012.04.24 Tuesday
- 11:52
さてと、仕事に取りかかるか。
…という思ったとき、ついついネットサーフィンをしたり、部屋の片付けものをしたり、コーヒーを飲んだり、米を研いだりなどをしてしまうのはなぜだろう。
すぐにとりかかれない。
やらなければいけないことをなぜ人は先延ばしにしてしまうのだろう(笑)。
まるでそれは目覚まし時計の「スヌーズモード」。
アラームを止めても止めても、また鳴り出す。
警告音はだんだん大きくなっていく。
現実逃避の一種か?
やり始めたらサクサク進むのはわかっているのだが、向きあいたくない。
向きあいたくないが、やらなければならない。
腰は重いが、片付けやらで身体を動かしていると、だんだんその気になっていく。
その気になるのを待つ。
きっとこれは無意識のウォーミングアップなのか?
自分をその気にさせるのは難しい。
いちばんいいのは、その気になるのを「待つ」のではなく、
その気もなにも考えず、まず「一番で」やるべきことを片づけてしまうこと。
やりたいこと(のんびりネットサーフィン)などを先にやってしまうと、なかなか取りかかるのが難しい。
やるべきことは一番に!
わかっているけど、難しい。
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喜多見のおすすめスーパー
- 2012.04.20 Friday
- 09:39
昨日、わたしの大好きなスーパー「たぐちフーズ」に行った。
・レタス100円
・ソラマメ山盛り298円
・キュウリ4本138円
・ねぎ5本100円
・もやし29円を購入した。
ここは紀伊国屋や明治屋のようなお洒落なスーパーではないが、わたしにとっては、パリの青空市場のようなマルシェ感のある野菜の売り方が気に入っていて、なにより安いし、新鮮な野菜を扱っているのが大好きな理由である。
去年の震災の際は、近くの大手スーパーではほとんど商品が空っぽ状態だったにもかかわらず、たぐちフーズでは店員さんが入場制限をはかりながら、野菜、餅、食パンなどの在庫をしっかり確保し、お客さんのパニック状態を上手にさばいていた。
わたしはさらにたぐちフーズのファンとなった。
帰ってからすぐ、レタスを水につける。
夕飯の頃にはパリッとシャキシャキになる。
キュウリは軽く塩もみ。
夕飯の頃には即席漬けになり、そのままのキュウリより、子供たちはよく食べる。
ソラマメを子供たちと一緒に剥きながら、茹で、できあがったそばから塩でいただく。
子供が野菜嫌い?
一般にそういわれているが、野菜って、美味しいって気づけば、きっと食べるようになると思う。
たぐちフーズ。
ファンです。
- 食べる
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宿題も「体験」。体験した人は強い
- 2012.04.19 Thursday
- 09:43
長男のユーゴーがこの4月、小学3年生になった。
小3という年頃は、発達段階的に言えば大きな変わり目を迎える年。
実際、本当に息子は変わった。
6時半になると起こさなくても自らパパッと起きて、パパッと英語の宿題をやり始める。
宿題といっても、アルファベットを書いたり、クイズ形式の単語学習などの書き込む系のものはすでに終わっているので、やるのはもっぱら「英語との接触量を増やす」作業。
「Useful expressions」や「Phonics song」「Who's he/she?」の練習、読書する本のCDをかけて英語に触れる。
去年までは、
「ほら、早く着替えて!」
「ほら、テレビを消して、もうご飯食べるよ!」
「靴下がまだじゃない!」
「英語のテキストの準備は?」
などと、いろいろな手間ひまが必要だったが、いまではほとんどその必要がない。
ここまで来るには、やはり親の手が必要となる。
思えば息子は1年前に英語を始め、ほぼ毎日、毎朝、英語に触れてきた。
はじめはわたしが大変だった。
なぜなら、面倒だから(笑)!
宿題というのは、子供たちにそんなに難しい作業は課されていない。
書くのが嫌いな子もいれば、なかなかやろうとしない子供もいるが、いろいろママたちの話をリサーチすると、「お母さんと一緒ならやる」という子もいる。
子供に宿題をさせるうえで何が大変かと言えば、子供と一緒に「宿題をやる時間」を作ること。
一緒にやると言っても、親が代わりにやってあげるのではなく、一緒に宿題に向きあう時間を作ること。
自学自習の態度が身につくまで、じっくり付き合う。
非常に手間ひまがかかるし、親子ケンカも勃発するし、非常に面倒だが、近道はない。
宿題をやらない理由は、宿題のやり方がわからないことが多い。
わたしが運営している子供たちの英語教室では、まず初回のレッスンで一緒に宿題をやってみる。
実際に子供たちの前でCDを入れ、テキストを出し、宿題のやり方を「目」で見せ、「体験させる」。
体験に勝るものはない。
子供たちはこの体験を通じて、
「あ、意外に簡単」
「けっこう楽しいかも」
と思う。
思えたならしめたもの。
料理も同じ。
一人で本を見ながら、今まで作ったことのない材料をそろえ、一人で調理にとりかかるのは非常にハードルが高いが、一度でも料理教室などで「体験」してしまえば、次は失敗しながらも一人でできるようになる。
テレビの料理番組も目の前で作ってくれると、一人で調理にとりかかりやすい。
なにごとも「初めて」は、コワい。
「初めて」は、不安。
「初めて」は、億劫。
でも一度でも体験した人は強い。
ホームベーカリーでパンを焼くのも、「初めて」の時はコワかった。
でも、その不安さえクリアして一度体験してしまえば、コワくなくなる。
今では朝、普通に焼きたてパンが食卓に並ぶ家庭になった。
失敗など物ともせず、子供になんでも体験させる。
小2までは親の辛抱。
小3くらいになれば、それがふっと親から離れる瞬間がくる。
さて、次は弟。
兄ちゃんとキャラが違うので、同じようにはいくまい。
どんな作戦でいくか、いまじっくり本人を観察中です。
- 子育て
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大人にとっての友人の理想系
- 2012.04.18 Wednesday
- 09:55
業務連絡。
昨日のブログの訂正です。
ニコニコレンタカー3万円と書きましたが、よく見たら4/27(金)からの予約だった。
これは間違。
出発は5月2日(水)。
あわてて電話し修正したら、今度は料金が1万5千円に。
さらに安い。
以上。
昨日のブログの修正部分でした。
さて、
昨日「秋田県立湯沢高校1985年卒集まれ」に参加してきた。
もちろんこれはFB上。
FBというのは、フェイスブック。
使いこなせていないわたしにとって、FBはちんぷんかんぷんで、メンバーから「早くメンバーとして参加してよ」というコメントをもらい、
?
わたしはすっかり参加していた気でいた。
どうやらまだメンバー登録が済んでいないらしい。
わたしが高校生だったのは、いまから何年前だろう。
当時の級友と時空を超えて、ネット上で話せるというのは、なんと素晴らしいことだろう。
心から感動してしまった。
感動といえば、先週、ひさびさに再会して一緒に仕事をするデザイナーと会った。
お互い20代のころから一緒に仕事をし、山口智子の『恋文』という本を作ったのが最後なので、会うのはじつに6年ぶりだ。
6年。
久しぶりに彼から声がかかり、一緒に仕事をする。
当時からアメリカンなバイクに乗り、革系な衣装を身につけているタイプだったが、かけているメガネが老眼鏡に変わったくらいで、そのスタイルはなにも変わっていなかった。
変わっていないけど、変わっている。
先方の会社へ撮影イメージをプレゼンする姿に、コイツも成長したなーと感動した。
その彼が、6年経ったいま、ライターとしてこのわたしを選んでくれたことに、さらに感動する。
何年経っても会えるというのは、人間関係としての理想系とも言える。
だって、わたし、会いたくない人ばっかりだし(笑)!
きっと彼とは距離感がよかったのだろう。
この写真じゃいやだの、このデザインはいやだの、おたがいガチンコでぶつかり合いながらも、うまく「腹7分」程度のつき合いでいたのがよかったのだろう。
いま保育園では、自ら宴会部長と称して年に数回、クラスの飲み会を企画しているが、子供たちが小学生になっても中学生になっても成人しても集まれたらいいな、と思っている。
何年経っても会える。
何年経っても一緒に酒が飲める。
たまに会っても違和感ない。
大人になると、友人とはこんな感じのゆるい存在が心地いい。
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コト派の休日の過ごし方
- 2012.04.17 Tuesday
- 09:23
休みの日の計画を立てると、ガゼン仕事がはかどる。
さて、ゴールデンウィークはなにをしようか。
5月3日(木)から6日(日)まで、4日ある。
新潟の祖父母が孫に会いたいという。
それなら軽井沢に集合しよう、と盛りあがった。
新緑、BBQ、鳥のさえずり、浅間山の雪解け水が流れ込む渓流、ソフトクリーム、星空……。
どんなに気持ちが良いことだろう!
車は経費節減のため手放してしまったので、レンタカー。
トヨタレンタカーなら、前日の水曜夜から借りて6万2千円。
ニコニコレンタカーなら、その半分以下の3万円!
しかし、超人気ショップのため、借りられる率は非常に低い。
パパが何度アクセスしても予約不可能であったにもかかわらず、なんといまアクセスしたら、一発でとれたではないか。
やったー!
ものごとにはつねにタイミングというものがある。
計画は早く立てればいいわけでもなく、思いつきに勝るものはないということかもしれない。
過去の経験から言えば、洋服を買うのも衝動買いがいい。
あっ、可愛い! と思って買ったものに、まず失敗はない。
食べたい! と思って勝った食材はカラダにいい。
食べたいものを食べ、泣きたいとき泣き、なにもしたくないときはなにもしない。
これは、世間的には怠け者、あるいはワガママとも呼ばれている。
しかし、ワガママで何が悪い?
どんな行動をすれば他人に迷惑がかかるか、ちゃんと理解している分別のあるわたしたち大人なら、すでに自分を律する必要などない。
もっとワガママに生きてもいいのではないか。
ストイックな生き方はいっけんカッコいいが、古代ギリシャ哲学のストア派が言うところの、
「自分の欲望を抑制し、情念に動かされることなく、禁欲的に自分を律する」ことで、果たして本当に幸せを手に入れることはできるのだろうか。
疑問である。
ストア派はよほど欲深いか、分別がないか、淫行旺盛のいずれらかだったのかもしれない。
いまのわたしには高価な洋服を買うお金もないし、
ハワイ旅行に出かける予算もないし、
数寄屋橋次郎で高級寿司を食べるお金もないが、
少なくともやりたいことはやれる人生を送っている。
わたしたちは充分、分別のある大人だ。
だから自分の欲望に正直に生きるよう。
快楽派でもなく、ナチュラル派でもなく、ほっこり派でもなく、現実の煩わしさから解放されることを「快」とするエピキュリアンでもなく、嗚呼、なんと言えばいいのだこの派閥!
取り急ぎ、コト派(日比野ことよりネーミング)と呼んでおくことにしよう。
どうやらすでにコト派という言葉は存在し、たとえばクリスマスに恋人からプレゼントされるなら、モノ派4割、コト(言葉や体験)派が6割というデータもある。
ちなみにこのデータ、家族からプレゼントされるなら、モノ派が8割に急上昇。
わたしは断然コト派です。
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裸足感覚が好きな人のルームシューズ
- 2012.04.16 Monday
- 10:57
裸足が好きだ。
足の裏で地面を5本指でがっつり踏みしめる感覚が好きだ。 どうせ買うなら良いものを。
これは2012年のわたしのテーマ。
そこで1つ、良いルームシューズを見つけた。
ペタペタバタバタするスリッパが嫌いである。
子供の英語教室では、靴を脱いでレッスンをする。
いままでは裸足でやってきたが、その貸し教室で使われるスリッパのソールが黒いため、それが床との摩擦で、毎回どんなに雑巾がけをしても、レッスンした後は足の裏が真っ黒になる。
なにか良いルームシューズはないものか?
スリッパはイヤだ。
裸足にちかいルームシューズはないか。
以前買った地下足袋もかなり裸足近いが、さすがにレッスンではちょっと恥ずかしい。
この2点の観点で探し続けて、先日、ついに出合った!
それがバレエシューズ。
もちろんバレエシューズ風ではなく、バレエのレッスンで使われる本物のバレエシューズである。
この年齢になって、はじめてバレエシューズなるものを履いてみたが、その素足感覚に近い履き心地は最高である。
最近では「裸足ランニング」なるものが注目されているらしいが、そのきっかけとなったのが、ハーバード大学の人類学者の論文らしい。
ケニア人と米国人ランナーの走り方を生体工学の視点から分析したところ、
「日常的に裸足で走っている人は、靴を履いてかかとから着地するよりも、脚にかかる衝撃が少ない」という研究結果だったという。
最近ではどうやら、わたしたち人間が持つ身体能力を発揮させる最低限の機能を持つ靴へと変化しているようだ。
このバレエシューズ、スリッパよりちょっと高めの2100円ではあるが、「どうせ買うなら良いもの」をテーマに今年から再スタートしたわたしとして、良い買い物だ。
納得。
コンパクトなので、保護者会などにも利用できる。
もしや、これはチビの保育園の上履きとしても、いいのではないだろうか?
しまじろうの上履きをいま履かせているが、バレエシューズのほうが断然裸足感覚だ。
さっそくこども用のバレエシューズも購入してみよう。
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お金より大切なものがある人は強い
- 2012.04.13 Friday
- 09:34
お金より大切なものがある人は強い。
先日、NHKで急成長を遂げるエリーパワーが紹介されていた。
この会社は、蓄電池を作る会社で、1台180万円もする蓄電池を2年前の発売から2000台以上も売り上げている。
成功の秘訣は、定年退職したベテラン技術者と専門分野の異なる若手ホープの抜擢らしい。
しかし、この会社にも悩みがある。
その悩みとは、ヘッドハンティング。
標的になっているのがエリーパワー研究所で働く電池開発の若手のホープ、原富太郎(39)さん。
なかには年収3000万円もの高額な報酬が提示されることもあったという。
3000万円くれるというのに、なぜ原さんは誘いに乗らないのか?
理由は、原さんにはお金よりも大切なものがあるからだ。
お金より大切ものって、なんだろう?
その答えは、「夢を実現できるから」だという。
夢を実現できる場、自分を活かせる場には、3000万円以上の価値があるということだ。
原さんは大学卒業後、大手電機メーカーに就職し、10年前に会社の開発部門の縮小にともなって退職し、大手自動車メーカーに転職した。
しかし、そこでも不況のあおりを受け、電池の自社開発の夢が破れる。
いま大手電機メーカーでは、人員削減が後を断たない。
その数8万人と言われている。
良い大学を出て、良い会社に入り、それまでエリートコースを突き進んで来た人は、その後いったいどんな人生を歩むのだろう。
エリートではないわたしですら、当時働いていた会社の人員削減で路頭に迷ったものだ。
会社員時代、辞める直前はお金のためだけに働いていた。
生活していくためには、お金が必要だったからだ。
その会社には、「夢」も「自分を活かせる場」もなかった。
さて、辞めてどうなったか?
生活レベルを下げたくないために定収収入が得られる会社を辞められなかったはずが、辞めた後、生活レベルは下がるどころか、はるかに向上した。
辞めた後の5年間をふりかえってみて、あらためてそれを実感する。
ウソではない。
外で飲むコーヒーより、美味しいコーヒーを家でゆっくり飲める時間がとれるようになった。
子供たちと話す時間をたくさんとれるようになった。
会社を辞めて3年後、子供たちのための英語教室運営を決意し、翌年スタート。たくさんの子供たちの笑顔を育てられるようになった。
ブログを書いて、自分とゆっくり話す時間がとれた。
「夢」と「自分を活かせる場」が、会社勤めの時以上にある。
お金以上に価値のあるものを手に入れたのだ。
エリーパワーの社長は言う。
「私たちが社員に夢を与えられなくなったときが非常に危険だ。
ただお金だけの闘いになってしまう。
自分の仕事が活かされないと思ったとき、そのお金につられてひっかかってしまう」
原さんは、ひっかからない。
それは、エリーパワーには夢があるからだ。
エリーパワーには、自分を活かせる場があるからだ。
もし年俸3000万円をもらっても、人生に「夢」と「自分を活かせる場」がなかったら、どれほどつらいことか。
これは、大手企業だけの問題ではない。
どんなに小さな企業でも、
アルバイトでも、派遣社員でも、
たとえそれが学校でも、部活動でも、
「夢」と「自分を活かせる場」がなければ、人は生きていけない。
子育てにだって、3000万円の価値がある。
自分のお昼ご飯のためだけに作るスパゲッティーにだって、3000万円の価値がある。
家族に作る夕飯には、3000万円以上の価値がある。
お金より大切なものがある人は強い。
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食育の本当の意味とは
- 2012.04.06 Friday
- 14:59
いま、明日のイースターパーティーに向けてピザ生地を焼いている。
生地だけ焼いて持って行き、現場で子どもたちと一緒にワイワイ言いながらチーズやトマトなどをトッピングして焼く。
闇ピザっていうのもありか!?
できあがったピザをただ食べるより、断然楽しい。
断然美味い。
これぞ食育。
かぼちゃをフライパンに入れ、塩をしてバターで蒸した。
これも現場で仕上げする。
できあがった春巻きをただ食べるより、断然楽しい。
断然美味い。
これぞ食育。
食育ってなんだろう?
食べ物に感謝する、あるいは野菜を作ってくれた人に感謝するなど、さまざまな目的があるが、最終的な本当の目的とはいかに。
わたしが考える「食育の本来の意味」とは、ただ一つ、将来大人になった時、食事の管理をちゃんと自分でできること。
ただそれだけだ。
自分が何を食べたいのか、身体は何を必要としているのか、どれだけの量が適切か。
これがちゃんとできたらダイエットとは無縁だろうし、残して捨てたりなどしないだろう。
これにプラスして、
美味しいものを食べることの喜び、
好き嫌いなくいろんな食材を食べられることの楽しさ。
季節に出回る旬のものに敏感になること、
食事を作ることの大変さと楽しさを知ること、
他人が作ってくれることへの感謝、
なども知ってもらえればなお良し。
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