インタビューの達人
- 2012.01.30 Monday
- 09:30
昨日は、子どもたちの日頃の英語の成果を試しに、ネイティブの先生のインタビューを受けに町田に行ってきた。
引率をするといろんなことが見えてきて面白い。
差し入れをくれる親。
町田まで親が向かえにきて、帰りに新百合ケ丘で映画を観ていく親子。
インタビューの催しを何度も案内しているのに、その配布物をまったく見ていない親。
お迎えになかなか来ない親。
いつもはおとなしくて我がままななのに、走り回るうちのチビの世話を一生懸命に焼いてくれる女の子。
ふだん見られないことが見えてくる。
その子の家庭の様子、親の関わり方、本来のその子の本質など。
小2のユーゴーは、歩くのは遅いが、引率者の手を煩わせることは一度もなかった。うまく自分の存在を消している、といったほうがいいかもしれない。
いま自分がなにをすべきか、どうしたら他人に迷惑がかからないかをちゃんと心得ている。じつに感心した。
1時過ぎに解散し、そのあと祖師谷大蔵の洋食屋さん「キッチンマカベ」へ家族4人で昼ご飯を食べにいった。
注文したのは、もちろんみんなが大好きな「オムコロ」。オムライスにクリームコロッケが2個ついているメニューだ。
家に帰ってお昼寝をし、夕飯を食べている時ふとパパが、
「ユーゴー、今日のお昼ご飯では、音をがちゃがちゃ立てないし、こぼさないで上手に食べたね」
と息子を褒めた。
あれ、そうだったっけ???
とわたしはそのことにまったく気づいていなかった。
パパは他人が気づかないことをじつによく観察している。
「うん、隣りに座っていた女のひとが、すごくきれいに食べていたから、真似してみた」
きっとその女性の食べ姿が美しかったのだろう。
美しい食べ姿というのは見ていて気持ちいいものだ。
息子もいろんなことをよく観察しているな、と感心した。
「どうだった、インタビュー?」
わたしが聞いた。
「うん。入ったらすぐ、外人の先生が、“ハーイ、ユーゴー! ハロー!”と言ってくれて嬉しかった!」
ふだんは、日本人の大人からは「ユーゴー君」と言われることが多いので、親しみを持って名前を呼び捨てされる感じが、すごく嬉しかったようだ。
きっとインタビュアーの明るい笑顔の“ハーイ、ユーゴー! ハロー!”のお陰で、本人も気持ちよく英語が話せたのだろう。
夕飯の片付けをしていたら、パパとユーゴーが作文の宿題をやっていて、
「すごいな、おまえ!」
とパパの驚いている声が聞こえてきた。
「なに、なに?」
と手を拭きながら見に行くと、
「ユーゴーは、気持ちが落ち込みそうなときは、エネルギーとかテンションを自分でコントロールするんだって!」
エネルギーとかテンションに振りまわされて落ちこみがちなパパには、その事実が衝撃だったようだ。よくまあ息子からそのようなことをインタビューしたものだ、とパパに感心した。
パパは他人に本音を言わせたり、何かを気づかせたりするのがうまいインタビューの達人である。
気づくこと。
「気づくこと」は、自分が思っている以上にじつはみんな気づいている。気づいていることに気づかないだけ。
でも、気づいたことに気づき、それを言葉にするのは難しい。
さらに、他人にインタビューしてその「気づき」を言葉にさせるのはもっと難しい。
パパはそれがうまいのだ。
我が家には、セラピストにもなれるインタビュアーの達人がいるから安心だ。
- 子育て
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無心になると幸せになる
- 2012.01.27 Friday
- 09:16
欲を捨てるのは難しい。
欲は無限だ。
お金が欲しい、いい仕事がしたい、幸せになりたい、他人より抜きん出たいなどなど。
その欲望は前進するための糧になるから悪いことではないが、それをどのように手中に収めるかである。
いままでいろんな人の「手中の収め方」を見てきた。
お金を手に入れるために他人をだましたり、いい仕事をするために他人を蹴落としたり、自分が優位に立つために他人のプライドを傷つけたりなど。
わたしはそんな「手中の収め方」は好きではない。
できることなら、気がついたらお金が手に入ってきた、あるいは気がついたら幸せになっていた、というのが望ましい。
気がついたら幸せになっていた。
なんと素晴らしいことではないか。
そのような状況になるには、きっと目の前の自分の「やるべきこと」を結果のことなど忘れて、無心でやるしかないのだろう。
無心。
無心とはどういうことなのだろう?
昨晩、ちょっとだけ無心になれるコツを得た。
我が家では、ときどき夕食後、「第六感ゲーム」をやる。
「第六感ゲーム」とは、「○」「△」「□」「×」の4つの絵を書いた紙を用意し、裏面を見て何が書かれているかを当てるゲームだ。
1セット5回で競うのだが、面白いもので、全員の正解率が高い回がある。
それは、1セット目の1回目。
そう、いちばん最初の回に家族4人とも正解することが多い。
きっと初回はあまり邪念がないせいだろう。
回を重ねるごとに、欲が出てくる。
次こそ正解したい。
ゼッタイに当ててやる。
何度か試しているうちに、あることに気づいた。
「結果のことなど忘れ、無心でやる」と、正解するのだ。
「正解」をもし「幸せに」に置き換えるなら、結果のことなど忘れ、無心でやると幸せになれるのかもしれない。
ところで、以前プチ霊能を持つダンナから「忘れた頃に良いことがあります」というメールが入った。
良いことってなに?
良いこと、
良いこと、
どんな良いこと?
忘れてないからやってこないのかもしれませんね。
- 幸せになる方法
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惹かれるのは相手の弱点!?
- 2012.01.26 Thursday
- 10:11
わたしが運営している子ども英語教室では、2、3歳児のクラスは親も一緒にレッスンに参加する。
理由は、「最近接発達領域」(zone of proximal development)といって、親との関わりによって知能を伸ばす領域があるという理論からだ。
子どもは自分の力だけでは達成できないことが多い。
でも、親がちょっと手伝ってあげれば、あるいは他の子どもと一緒にやれば達成できる活動領域がある。
それが「最近接発達領域」。
子どもへの要求が高すぎても低すぎても、知育の効果は低下する。
だから子どもが1人で右往左往しているときに、そっと親が手伝って達成できる程度(それが「最近接発達領域」)の知育作業をおこなう。
「ここは手出しをしていいものか?」
と親は迷う。
参加している親御さんの様子を見ていると、やっぱり迷っている。そんなときは、
「子どもがいやがらなければ、手伝ってもいいですよ」
とささやく。
「えっ! いいんですか?」
と驚かれる。
小学2年生になる息子をもつ親としても、「自分の力でやらせる」ことが子どもの力を伸ばすことではないか、とつい考えてしまう。
大切なのは、子どもと一緒になって、知育作業を共同でやる、という姿勢。
答えをただ教えるだけ、あるいは子どもの代わりにやってあげるといった一方的なものではなく、「一緒に」取り組んでいるという姿勢が大切なのだという。
秋くらいからクラスに参加した4歳の女の子Hちゃんがいる。
みんなに渡すカードを自分だけで独り占めしたり、クレヨンの時間にカバンから自分でクレヨンを出そうとした娘をママが手伝ったらヘソを曲げて大泣きしたり、パパは娘はちょっと変わっているのではないか、発達的な遅れがあるのではないか、といろいろ心配している。
実際、Hちゃんはちょっと変わった子である。パパはそのことをすごく心配しているが、ママはそんなそぶりは絶対に見せない。一生懸命、娘と向きあっている。
きっと心のなかではパパ以上に心配しているであろう。わたしの長男は障害があるから、その思いがすごくわかる。
Hちゃんのママを見ていて、「ああ、Hちゃんのパパはママのこんな不器用な部分に惹かれたんだな」と思った。
そのときハッとした。
人は、その人の優れた部分よりも、弱い部分により惹かれるのではないのだろうか。
完璧な人間なんていないが、不完全さはその人の魅力になる。
その不完全さを埋めたい、とおたがいに思うのが夫婦なのかもしれない。
ところで、最接近領域。
これは幼児だけではなく、小学生になる息子にも、ダンナにも当てはまる。適度な難易度の内容と、適切なサポートがあれば、学習的・技術的・精神的に人は成長する。
本来は、どれくらいの負荷に相手が耐えられるのかを知らないと、他人になにかをやらせたり任せたりするのはむずかしい。
どれくらいの負荷に相手が耐えられるのか。
これをいちばんよく知っているのは、やはり子どもにとってはいつも一緒にいる親だろう。
見極めるのは非常にむずかしい。だが、できることなら理解したいと思う。
その思いがあれば、親子も夫婦も大丈夫。
- 結婚生活
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毎日味わう小さな達成感
- 2012.01.25 Wednesday
- 09:02
満員電車の中でゲームに没頭している人がいる。
ゲームは、なにか障害物を乗り越えたり、敵をやっつけたりしながら、それをクリアする小さな達成感を味わえるのが魅力だ。
先日、智一ブログ「書くことは消すこと」ででも書いたのだが、日々ふとした瞬間に「あ、あれやらなきゃ」「そうそう、あれを買わなきゃ」「そろそろ振込をしなきゃ」なんていう小さな用事が次々浮かんでくる。
まるでそれはゲームの中の障害物や敵のように。
小さな用事には、ゼッタイにやらなければいけないことから、やっておきたいことまでさまざまあり、やらずに頭のなかで積み重なっていくと、発酵したり、澱となって、しまいには腐ってしまう。
そして、いざ「やろう」としたときに、「なにをやるんだっけ?」ということになり、結局やろうとしていたことがなにもはかどらない。
しかもそれが自己嫌悪となり、つねに「やらなきゃいけない」ことに追われているイヤな気分になる。
そんなときは、やることが浮かんだ瞬間にメモをする。
メモに書くだけで、目に見えない敵が明確な形となって現われてくる。
メモに書くだけで、頭の中のモヤモヤと、なにかに追われている切迫感のようなものが消え、すっきりとした気分になる。
朝、保育園の送迎が終わったあとコーヒーを飲みながら、新鮮な気分で今日やることを確認する。
やったとこを一つ一つ赤ペンで消していくというのは、じつに爽快で気分がよく、達成感まで味わえる。達成感というのは、なにか偉業を成し遂げたときにだけ味わえる特別なものではない。
息子の三角定規を買う。
今週から算数で使うそんな小物を買うのでも、ちゃんと予定通りに買うと、十分に達成感を味わえる。
お世話になっている先生の誕生日が2月2日だというのを知り、よく当たる『誕生日事典』でその日のページをコピーする。
これは「やっておきたいことリスト」だが、いまそれをやり終え、また一つ達成感を味わう。
書くことは、モヤモヤや障害物や敵を消すこと。
頭の中のやることをスキャンするかのように紙に書き出すと、頭の中がクリアになる。
なにかに追われている感がなくなる。
すると前向きに物ごとに向きあえる。
一つクリアすると達成感を味わえ、また別のことをクリアしたくなる。
これはゲームにハマるしくみと同じだ。
DSなどのゲーム類は苦手だが、このゲームはじつに面白い。
- 幸せになる方法
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狛江のおすすめ中華屋さん
- 2012.01.20 Friday
- 10:26
今日は雪。
しんしんと降る雪。
北国の冬を思い出す。
こんなとき、秋田の湯沢はどんなかな?
そう思ったときに覗いてみるHPがある。
湯沢にあるおいしいコーヒー屋さん「カフェ・ジータ」。
おぉ、湯沢も真っ白だ。
こうやって写真で眺めてみると、湯沢の冬はじつに幻想的だ。
雪が今日でよかった。
というのも昨日だったらお出かけ続きだったからだ。
今日はなにもない。
昨日は朝から新宿で英語の研修があり、昼すぎに終わって家に戻り、もう一度子どもたちを二人を連れて新宿に向かった。
長男の整体を受けさせるためだ。
そこは長男が1歳のときから通っている「背骨コンディショニング」という整体で、2カ月に1度のペースで日野先生に矯正してもらう。行くたびに息子の仙骨は2度、必ず傾いている。
これが3度4度に傾くと座骨神経痛が出るらしい。
帰りに新宿南口のイルミネーションを「冒険」と称して3人で眺め、幻想的な気分に包まれながら家路に着く。
せっかく3人でお出かけしたのだから、どこかで夕飯を食べて行こう。
さて、どこへ行こうか。
思いついたのが、長男の卒園謝恩会で使った喜多見にある中華屋「魯園菜館 喜多見店」。
値段が手頃で、うまい。
このお店でチャーハンを頼んだらすごい大盛りで、すでにラーメン、唐揚げを頼んでいたので、これでは3人では食べきれない。
すぐにパパに応援メールをし、会社帰りに寄ってもらった。
家族4人で外食。
もしかしたら去年のお伊勢参り以来の外食かも。
たまには外食もいいものだ。
今日は夕飯の準備をしたくない、というときに外食が思い浮かぶが、子どもたちを連れてちゃんと食べられるお店というのは意外にない。ハンバーガーもなぁ、というときには、魯園菜館。
4人で喜多見から家まで、みんなで手をつないで楽しくおしゃべりしながら散歩した。
今日は雪。
しんしんと降る雪。
家族が仲よく楽しく暮らせるって、幸せだなとしみじみ思う。
- 食べる
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狛江のおすすめ路地野菜
- 2012.01.18 Wednesday
- 10:20
駒井保育園のすぐそばに、野菜の直売所がある。
先日、ほうれんそうを購入した。
1束100円。
安い。
我が家では根元の赤い部分は切り落とさず、まるごと食べる。
はじめパパは、
「えっ!? ここも食べられるの?」
という反応だったが、先日購入したほうれんそうを食べ、
「うまい! なんという甘さだろう。この根元部分がイチバン甘くておいしい」
と大絶賛。
すぐになくなったので、翌日買いに行ったら、同じ保育園のママも買いにきていて、
「ここのほうれんそう、本当に甘くておいしいですよね」
と話したら、
「そう! この辺でいちばんおいしい野菜だから、すぐに売り切れちゃうんですよ」
と教えてくれた。
やっぱり。
この直売所で買う野菜はすべて、スーパーで買うのとは味がまったく違う。
いまの時期はレタス、キャベツ、かぶ、大根、ねぎを扱っていて、どれも100から150円。
おすすめです。
ところで最近ハマっているおかずがある。
それは、ネギ(青い部分もすべて)を薄い小口切りにし、塩をふり、ゴマ油を回しかけて作る「ねぎ塩」。
ねぎは放っておくとすぐに青い部分がダメになるし、細切りも非常に面倒。
これを作りおきしておくと、ごはんの上にドカーンとのせ、いり白ごまをふり、ちょっとしょうゆをたらして食べれば最高の常備菜となる。しかも、お好み焼きの「ねぎ焼き」や味噌汁の青みに大活躍。
おすすめです。
- 食べる
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3学期の保護者会でのママたちの悩み
- 2012.01.17 Tuesday
- 09:55
昨日は長男の保護者会に出席した。
2年1組の保護者会の雰囲気は、いつも「微妙な」空気が流れている。
というのも、2年1組はやんちゃな子が多く、授業中におしゃべりをしたり、トイレに行ったり、勉強の準備をなかなかできなくて授業がスタートできなかったりなど、多くの問題を抱えたクラスで、2学期に父母たちが集まった際に先生への不満が爆発したクラスなのだ。
先生への不信感をもつ父兄。
でも、そんなことはあまり気にしない父兄。
そんな暗黙のせめぎ合いのようなものが存在し、「微妙な」空気をつくり出す。
不信感を払拭しようと、先生は余計に言葉数が多くなって、それがさらに「微妙な」空気となる。
先生が、「昨日はみんなで図書館に行ったときに、図書の先生のお話をちゃんとおしゃべりしないで最後まで聞けていましたよ」などと、普段のクラスの様子を先生が言えば言うほど、不信感をもつ派の父兄の不信感がふくらんでいく。
先生からの提案で、「子どもに関する悩み」を各自無記名で書いて一度回収し、それを別の父兄たちに配って、どうしたらその悩みを解決したらいいかの提案をし合う、という企画が行なわれた。
口火を切る人はだれもおらず、先生はまた余計に言葉数が多くなって、それがさらに「微妙な」空気となる。
できることなら父兄が同じ方向を向いて「明るい」空気の保護者会にしたい!
わたしは自分のところに回ってきた悩み「宿題をなかなかやらず、間違いを指摘するとすねたり怒り出したりして宿題が進まない。どうしたら子どもに気分よく勉強させられるのだろうか」についてみんなで語り合いたいと思って、手を挙げた。
すると同じような悩みをみんな抱えているらしく、たくさんの父兄が発言し始めた。
みな同じ方向を向いている!
「うちの子は宿題をなかなかやらず、いろんな育児書を読んでそれを試してみましたが、すべて失敗。本当に困っています」
と赤ちゃんをおんぶしたママが発言した。
「宿題をいつまでやるという約束を子どもとしていますか?」
と先生。
「はい。夕飯までにはやろうという約束はしています」
「宿題はやったのか、という声がけを子どもにしていますか?」
「はい。10回以上は言ってます」
(一同、笑い)
「夕飯まで終わらないときはどうしていますか?」
「先に食べ始めると、べつに食べなくてもいい、とすねます。ママと一緒にだったらやる、と我がままを言います」
(一同、笑い)
そこで先生が「なるほど」と思う提案をした。
「小学2年生といえども、まだまだ親に甘えたい時期なんですよね。よく宿題をやってこないお子さんを見ていると、どうしてなんだろう?と思うのですが、子どもは親が自分に関心をちゃんと寄せいている、ちゃんと自分と向きあってくれるというのがわかれば、安心するものです。
夕飯前は、バタバタと忙しい時間帯だから、夕飯までにやるというルールを変えて、別の時間帯に子どもと1対1でじっくり向きあえる時間帯に一緒にやってみてはどうでしょう?」
さすが先生!
子どもとちゃんと向きあっているつもりでも、夕飯の準備、下の子どもの世話、明日の用意など、親はバタバタとあさっての方向を見ていることも多い。
そんな親の態度に子どもは、子どもだからこそ非常に敏感なのだ。
もし、聞き分けがない、宿題をやらないといった悩みがあるなら、1日10分でもいいから、子どもを膝に乗せたり抱っこしたりしながら、子どもの話をちゃんと聞く時間を作るといいかもしれない。
そう、「ちゃんと」聞くのだ。
聞くというのは、受け入れること。
子どものすべて、良いこと悪いこともすべて、受け入れること。
つい親はダメなことに目が行ってそれを指摘しがちだが、そんなことはやめて、すべてを受け入れる。
それをいま、親がしてあげなければ、いつしてあげられるだろう。
子どもは親との信頼関係を築けないまま、大人になってしまう。
思春期になってからでは手遅れだ。
いまユーゴーは小学生クラブから4時半に帰ってくる。
ちょうど夕飯の準備やら、弟のお迎えと重なる慌ただしい時間だ。
でも、冬至がすぎて日が伸び、まだ帰ってきてからも明るい。
昨日は夕暮れの中、夕飯の準備やチビのお迎えそっちのけに、息子と2人でジャンキーなおやつをつまみながら会話した。
「うまか棒って、結構うまいね!」
とわたしが言う。チーズ味が本当にうまかったのだ。
「うまか棒って、なに?」
「うまか棒だよ、これだよ!」
と一緒に食べているジャンキーおやつの袋を見せる。
「あぁ、うまか、じゃなくうまい棒ね!」
こんなくだらないやりとりを親子でする時間って、じつは思っている以上に大切なことかもしれない。
- 子育て
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気に入ったモノに囲まれて生きる
- 2012.01.14 Saturday
- 08:40
いま話題になっている片付け本がある。
120万部を突破しているサンマーク出版・近藤麻理恵著『人生がときめく片づけの魔法』。
1/11朝日新聞の広告には、
目頭が熱くなった。
びっくりするほど部屋が片づいて快適になった。
人生をみつめ直し、人への接し方もかわかりました。
すばらしい。片づけ本ではなくて意識変革の本。
感動して泣いてしまいました。
捨てる物を選ぶのではなく残す物を選ぶことを教わりました。
などなど、読者の感動の声が紹介されている。
ぜひ、読んでみたい。
「捨てる物を選ぶのではなく残す物を選ぶことを教わりました。」
というのはすごくよくわかる。
モノを片づけるときに、
「手元に大切に残したいものか?」
「自分を幸せな気持ちにさせてくれるモノか?」
を視点にすると、要らない物がすぐわかる。
今週は、仕事がひと段落したので、身のまわりの整理整頓をおこなった。
自分を幸せな気持ちにさせないモノたちに、いかに囲まれていることか!
今年は、
キレイなもの。
ホッとさせてくれるもの。
美しいもの。
幸せになるもの。
これからに囲まれて生きよう、と決心した。
チビも4歳になり、だいぶモノを壊さなくなった。
ちゃんとしたご飯茶わんを買いたい。
ついでに夫婦のご飯茶わんも買いたい。
わたしは白磁が好きだが、形も色もすべて気に入るご飯茶わんになかなか出会えない。
ネットで調べていたら、
炊きたてのご飯がつやつやおいしそうに見える、青みがかった白磁の茶碗±0/プラスマイナスゼロ
価格:1,680円(税込、送料別)
を発見。
美しい。
幸せって、お金では買えないとはいうけれど、もしかして簡単に変えちゃうのかも!?
- 幸せになる方法
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そろそろ恒例の味噌造り
- 2012.01.13 Friday
- 10:04
豆が食べたい。
スナップエンドウのバター&オリーブオイル炒め、グリーンピースの豆ご飯がむしょうに食べたい。あっ、あと干し芋も!
グリーンピースは4月ごろから旬を向かえるが、食べたいと思うということは体が欲しているということ。去年の秋、各地でサクラが咲いたというニュースが話題となったが、季節はいま少し狂っている。
豆が食べたいと思うのも自然な流れなのかもしれない。
正月に新潟に帰省した際、おじいちゃんが味覚障害になってなにを食べても味がなく、ゲッソリとやせたときに医者から「亜鉛」のサプリメントを処方されて改善した話を聞き、食べ物に含まれる栄養素というのは、本当に体に大切なのだな、と実感した。
ちなみにグリーンピースにも亜鉛が含まれ、まいたけや牡蠣も亜鉛が豊富である。
正月にわたし自身、まったく食欲がわかなかったときに、父親がコタツの上にファイト一発!「リポビタンD」をそっと置いた。こんなの効くのか? と思いながらも、父親の思いやりに感謝しつつ、まったく何も受け付けなかったわたしの食指が動いた。
主要成分を見てみると、ビタミンB群が入っている。
新潟に移動してから、少しずつ疲労も回復し、何か少し食べたいな、と思ったときにハッとした。リポDが効いたのだ。
大正製薬HPのリポDの紹介ページによると「人間の体を車にたとえると、ビタミンはエンジンの働きを円滑にする潤滑油の役割を果たします。糖質や脂質、タンパク質などのエネルギー源をしっかり摂っても、ビタミンが不足するとこれらを十分に体内で活用できず、車を走らせることができないのです。エネルギー源の活用を左右し、エナジーサイクルを円滑にするビタミンは、体の発育や成長、健康の維持に欠かせない栄養素といえます」。
今回仕事でさんざんビタミンやらファイトケミカルについての原稿を書きながら学んだことを自分の体で実感。
リポDには、トマトにも含まれるビタミンB6が入っており、脂肪の代謝を助ける。たんぱく質・脂質・炭水化物をエネルギーにかえるときに必要なビタミンB2も含まれている。ビタミンというのは、非常に大切な成分なのだ。
さて、豆。
大豆といえば、味噌。
そろそろ恒例の味噌を仕込むメンバーへの招集をかけた。
今年の味噌はどんな味の味噌になるのだろうか。
楽しみだ。
- 手作り
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仕事のあとの一人反省会
- 2012.01.12 Thursday
- 10:36
1冊の本を作る仕事がそろそろ校了を向かえつつあり、終わりが見えるとホッとする。
この道20年になるが、1冊ごとに仕事の進め方が大きく異なる。
なぜこんなにも違うのだろう?
面白いものだ。
今回は早いスタートを切ったはずだったが、なぜか徹夜で原稿を書くようなバタバタのスケジュールとなり、デザイナーさんが朝まで作業をして著者にバイク便を飛ばしたり、丸ごと原稿を差し替えたり、足りない写真があったり、なんのコラムを書く予定だったのかわからなくなったりなど、大変な仕事となった。
大変にもいろいろあり、量が多い、調べ物が多い、スケジュールが厳しいなど、いろんな要素が絡みあうものだが、量が多い分には、大変だがそんなに大変ではない。
いちばん大変なのは、霧の中で作業をすること。
霧の中とは、
この進め方でいいのだろうか、手元の資料が不足しているが時間がないのでネットで調べていいものか、この内容で著者は満足するだろうかなど、「進むべき方向」が見えない状態をいう。
案の定、わたしが書いた原稿はほとんど著者が書き換えることになり、真っ赤っかの初校となってしまった。
反省……。
さて、落ちこんでいてもしょうがない。
原因を探ってみよう。
今回の仕事が大変になった理由、
その1 資料の準備不足
著者、ライター、編集者の3者が、同じ内容の十分な資料を手元に準備しておくべきだった。共通の資料がないので、みな各自おのおのの資料にあたることになり、事実関係を再チェックする際の道しるべがなかった。「この内容は本当にあっているか」といった内容チェックが大変な作業となった。
2 作業工程のスケジューリングが立てられていなかったこと
最終的な締め切りは全員把握していたが、いつまでに著者に原稿を渡すのか、いつまでにチェックをしてもらうのか、いつまでにデザイン入稿するのか、といった細かなスケジュールがまったくないままゆるゆると日にちだけが過ぎ、「締め切りまであと10日」という連絡をもらって、みんな慌てて動き出したこと。
3 作業分担の不明確さ
もしかして、上記のスケジューリングをやるのはわたしだったのかも?? といまになって思う。いやそれはライターではなく、ふつう編集者がやるのではないだろうか、とおぼろげながら思いながらもゆるゆると日にちだけが過ぎ、結局だれもやっていなくて大慌て。
もっと仕事をやりやすくするためにも、いろんな提案をすべきだったのではないかと自分を責めつつ、著者と編集者はすでに何冊か一緒に本を作っており、やはり今までのやり方を尊重すべきだしあまり出しゃばるものでもないだろう。
時間がない状態でだれの担当なのかの責任所在もあいまいなまま夢中で作業をしていると、いろんな提案をしたり、意思疎通のための確認作業をしたりといった、通常すべきことも抜け落ちていく。
仕事はどんなに経験を積んでいても難しい。
ひとつだけ言えるのは、仕事で押さえるべきツボは、「細やかなスケジューリング」と「役割分担」。
細やかなスケジュールを立てると、誰がいつなにをすべきなのかも明確に記されることになる。
仕事はどんなに経験を積んでいても難しい。
この道20年になるが、1冊ごとに仕事の進め方が大きく異なる。
なぜこんなにも違うのだろう?
面白いものだ。
今回は早いスタートを切ったはずだったが、なぜか徹夜で原稿を書くようなバタバタのスケジュールとなり、デザイナーさんが朝まで作業をして著者にバイク便を飛ばしたり、丸ごと原稿を差し替えたり、足りない写真があったり、なんのコラムを書く予定だったのかわからなくなったりなど、大変な仕事となった。
大変にもいろいろあり、量が多い、調べ物が多い、スケジュールが厳しいなど、いろんな要素が絡みあうものだが、量が多い分には、大変だがそんなに大変ではない。
いちばん大変なのは、霧の中で作業をすること。
霧の中とは、
この進め方でいいのだろうか、手元の資料が不足しているが時間がないのでネットで調べていいものか、この内容で著者は満足するだろうかなど、「進むべき方向」が見えない状態をいう。
案の定、わたしが書いた原稿はほとんど著者が書き換えることになり、真っ赤っかの初校となってしまった。
反省……。
さて、落ちこんでいてもしょうがない。
原因を探ってみよう。
今回の仕事が大変になった理由、
その1 資料の準備不足
著者、ライター、編集者の3者が、同じ内容の十分な資料を手元に準備しておくべきだった。共通の資料がないので、みな各自おのおのの資料にあたることになり、事実関係を再チェックする際の道しるべがなかった。「この内容は本当にあっているか」といった内容チェックが大変な作業となった。
2 作業工程のスケジューリングが立てられていなかったこと
最終的な締め切りは全員把握していたが、いつまでに著者に原稿を渡すのか、いつまでにチェックをしてもらうのか、いつまでにデザイン入稿するのか、といった細かなスケジュールがまったくないままゆるゆると日にちだけが過ぎ、「締め切りまであと10日」という連絡をもらって、みんな慌てて動き出したこと。
3 作業分担の不明確さ
もしかして、上記のスケジューリングをやるのはわたしだったのかも?? といまになって思う。いやそれはライターではなく、ふつう編集者がやるのではないだろうか、とおぼろげながら思いながらもゆるゆると日にちだけが過ぎ、結局だれもやっていなくて大慌て。
もっと仕事をやりやすくするためにも、いろんな提案をすべきだったのではないかと自分を責めつつ、著者と編集者はすでに何冊か一緒に本を作っており、やはり今までのやり方を尊重すべきだしあまり出しゃばるものでもないだろう。
時間がない状態でだれの担当なのかの責任所在もあいまいなまま夢中で作業をしていると、いろんな提案をしたり、意思疎通のための確認作業をしたりといった、通常すべきことも抜け落ちていく。
仕事はどんなに経験を積んでいても難しい。
ひとつだけ言えるのは、仕事で押さえるべきツボは、「細やかなスケジューリング」と「役割分担」。
細やかなスケジュールを立てると、誰がいつなにをすべきなのかも明確に記されることになる。
仕事はどんなに経験を積んでいても難しい。
- 働く
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