パラダイムシフトしました。
- 2011.09.30 Friday
- 09:02
パラダイムシフトは「その時代や分野において当然のことと考えられていた認識(パラダイム)が、革命的かつ変化(シフト)すること」と定義されている。
旧パラダイムから新パラダイムへの変化(シフト)は、連続的に起こるのではない。
旧から新へのパラダイムは少しずつ変化するのではなく、二つは完全に断裂していて、新しい考え方は古いパラダイムとはまったく違う考え方で生まれる。
コペルニクスの地動説もこれとまったく同じである。
パラダイムシフトという言葉はだいぶ前から目にするようになったが、私は今こそパラダイムシフトをしようと決めた。
病気になったり、手にブツブツができたりするのも、古い今までの考え方や食べ物を変えなければ、薬で押さえ込んでもまだ同じように病気になる。
だったら新しい考え方にシフトしなければ!
どんなパラダイムにシフトしようかは、もう心に決めている。
まずは、自分のからだを信じること。
細胞は、今足りない栄養素をちゃんと膜から取り込むようにできている。自分の細胞の力を信じようと思う。
- 幸せになる方法
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パサパサの髪を克服!
- 2011.09.29 Thursday
- 11:45
ユーゴーを出産するときに出会った野口整体の野口晴哉(のぐち・はるちか)先生は、石けんでからだを洗わないらしい。本でそれを読んだとき、
えーっ! うそー!
という驚きがあった。
じっさいに試してみると、石けんを使わなくても全然オッケー。皮脂はお風呂に浸かっただけで溶けるらしい。お陰で冬のカサカサかゆかゆとも無縁となった。
さらに、『傷はぜったい消毒するな』の夏井睦(なつい・まこと)先生の本を読んで納得した。
皮膚の表面には皮膚常在菌というのがいて、同じ「菌」ではあるが、わたしたちのからだを守る役目を果たしているから、洗いすぎは良くないというのだ。
生まれた赤ちゃんをすぐにママの胸で抱っこする「カンガルーケア」にはさまざまなメリットがあるようだが、ひとつには無菌状態で生まれてきた赤ちゃんにママの皮膚常在菌をつっくけることで赤ちゃんをばい菌から守る役目があるらしい。
手の洗いすぎ、からだの洗いすぎは皮膚常在菌が住めなくなってしまうばかりか、手荒れ肌荒れもおこす。台所洗剤をしょっちゅう使わざるを得ない主婦が主婦湿疹になるのもうなずける。
夏井先生が言うには、
「人間の皮膚から分泌される物質で、お温に溶けないものはない!」
と言う。
洗えば洗うほどシャンプーやボティーソーブに含まれる強力な界面活性剤が皮脂を洗い流し、からだを守る皮膚常在菌が住めなくなり、常在菌以外のさまざまな細菌が繁殖するようになってしまう。
じつは最近、髪の毛のパサ付きが気になって、椿油をすり込んだり、石けんシャンプーに変えてみたりしたのだが、一向に良くならない。
そして、夏井先生の本を読みハッとした。
髪の毛だって洗わなくてもいいではないか!
試しに、シャワーで地肌をよおーく洗うだけにして今日で3日目。
なんと髪の毛のパサ付きウソのようになくなった!
髪を洗わないと翌日はベタついていた私の髪がぜんぜんベトつかない!
夏井先生によると抜け毛やフケもなくなったというから、抜け毛がひどくていつ禿げるのか恐れている私はかなりこの温水シャンプーに期待している。
- からだ
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傷はぜったい消毒するな
- 2011.09.26 Monday
- 15:53
わたしは、常識を覆されるのが好きだ。
えっ!? うそーー!!
と驚くが好きなのと、今まであたりまえのように言われていることは嘘っぱちだったというガリレオ地動説チックな話が大好きなのだ。
最近驚いたのは、保育園で配布された「保健だより」で目にした、「傷の正しい対処法は、まずは流水で洗い、消毒しはしない」ということ。
えっ!? 消毒しなくていいの!!
いままでの常識では、まずは消毒して乾燥させるのが正しい処法だった。
消毒液はタンパクを破壊してばい菌の増殖を防ぐが、じつは人間の細胞膜のタンパクも破壊してしまうため、傷の治りを阻害してしまうのだ。
以前たまたま人からもらった「キズパワーパッド」は、薬局で治癒促進用として売られているが、じっさい息子の膝小憎の擦りむき傷に使ってみて、治りの早さと傷跡のキレイさに心底びっくりした。
ところでうちの母親は、思い込みが激しく、病院の先生の話やテレビのコマーシャルはなんでも真実だと信じ込むところがある。
ある冬、手荒れがひどくなって血がにじんだとき、自己判断で「傷にはなんといっても消毒液」と言って、一生懸命に消毒液を手荒れクリームでも使うように頻繁に塗っていた。もちろん悪化したのは言うまでもない。
ところでこの手荒れクリームも界面活性剤なる乳化剤が使用されているので、じつは肌にはあまりよろしくないらしい。
『傷はぜったい消毒するな』の著書で、湿潤治療の権威である夏井睦(なつい・まこと)先生によると、手荒れはワセリンと塗ってラップをすればいいらしく、このやり方で火傷やアトピーなども実際に回復させている。
今、私の興味がなぜ皮膚かと言えば、手にブツブツができてしまったからである。何度も皮膚科に行こうか迷いつつ、免疫革命で有名な安保徹氏の『病は気からの免疫学』という本を読んだところ、消炎剤は「からだの生きる力を低下させるから炎症が治まったように見えるだけで、じっさいは治る方向に向かった消炎ではない」と教えてくれた。
どうせ病院に行っても、炎症剤やステロイド剤が処方されるだけ。
だったら自分のからだがどのような経過をたどって治癒していくのか見届けてやろう、と病院にいくのはやめてしまった。
もしここで、
「もっと悪化したらどうしよう」
「人に、それどうしたの?と聞かれたら恥ずかしい」
という思いに押しつぶされていたら、きっと病院にかけこんでいただろう。けっこう病院に行かないのも勇気である。
ちなみに『傷はぜったい消毒するな』の著者、夏井睦(なつい・まこと)先生によると、化粧は皮膚を老化させるらしい。
これに関しては、
えっ!? 化粧すると肌が老化するの!!
という驚きよりも、「やっぱり」と腑に落ちる感じがした。
きっと今頃、紫外線予防に朝からしっかりメイクをするMちゃんママは、
えっ!? 化粧すると肌が老化するの!!
と腰を抜かしているに違いない(笑)。
私は、他人の常識を覆すのも好きである。
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お金の価値観は夫婦一緒のほうがいい
- 2011.09.22 Thursday
- 10:38
嵐のあとはどうしてこんなに空気がクリアなんだろう。
今日はとてもすがすがしい。
さきほどダンナの実家から、荷物が送られてきた。
カボチャ3個、トマト1パック、メロン1個、梨8個、バナナ1房、笹ダンゴ20個、ソーセージ、ハム、ヤクルト2パック、子どもたちの駄菓子・クッキー、長男と次男の上下の服それぞれ1セット……とまだまだつづく。
これらはすべて買ったもの。
さらに、おじいちゃんが作った野菜(ナス・玉ねぎ・じゃがいも)がたっぷり入っていた。
食べきれないほどの食べ物を見ると、お腹いっぱいになる。
有り難いと同時に、せつなさもこみ上げてくる。
これだけの量を買ったら相当な金額になるだろう。
お金の使い方が、自分とは明らかに違うからせつなくなる。
夫婦は、お金の価値観とお金の使い方がある程度同じじゃないと、一緒にいるとつらくなる。
我が家の場合は、ふたりともムダ遣いはあまりしない。
何が必要で何を買うかという部分では多少異なる部分はあるが、おたがいにストレスを感じるほどの相違はない。だから一緒にいても安心なのだ。
相手に居心地が良いと思える理由のひとつは、お金にあるのかもしれない。
ダンナは、実家からモノが送られてくると、
「えっ!? なんでこんなもの買ったの?」
「なんでメロンを3つも送ってくる!? 冷蔵庫に入り切らなくて腐ってしまうではないか」
と怒る。
私も同じように思う。
食べきれないほどの食料を買うなんて、バカげている。
この人と結婚してもいいだろうか、と迷った時のチェックポイントは、「この人と年寄りになっても一緒にいられるか?」「相手の失敗やダメな部分を許せるか?」などいろいろあるが、やはり「お金の使い方や価値観に大きなズレがないか?」は重要なチェックポイントだ。
これは友だち関係でも同じかもしれない。
- 結婚生活
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求めていることに目を向ける
- 2011.09.21 Wednesday
- 15:55
ダンナはニンニク嫌い、キムチ嫌い、子どもはぬか漬け嫌い。
だから食べたい気持ちを抑えて、スーパーでは避けて通っていた。
ま、べつに食べたくて食べたくてしょうがないといった激しい衝動もないし、と。
でも、ある日、「べつに我慢する必要なんてないんだ」ということに気づいた。
本当に自分が食べたいものに目を向けず、なぜ今まで食べずにいたのだろう!?
と、やっと気づいたのだ。
どれだけの人が本当に自分が食べたいと思うものを食べているのだろう。
どれだけ多くの人が自分の本意とは違う生活をしているだろう。
昨日は友人が我が家に遊びに来た。
忙しさのためここ数カ月、デパ地下の夕飯しか食べれなかったという友人がやっと休みをとれたのだ。彼女は息子たちのために家で仕込んだ絶品ロールキャベツとちらし寿司を持参し、
「サラダがないね」
と待ち合せた狛江駅そばのスーパーで一緒に買い物をした。
顔に大きなニキビを作り、歯の調子も悪く、生まれて初めてアトピー性皮膚炎になって体調がずっとすぐれないのだ、とこぼした。
彼女の体調不良ぶりは、ストレス以外の何ものでもない。
自分が望むことと現実に大きなズレが生じているのだ。
私は思わず「今こそ、自分が本当に求めていることに目を向けてやってみれば?」とお酒の勢いに任せて言ってみた。
彼女は50歳目前。やりたいことを今やらなければ、ずっとこのままやらずに終わってしまうかもしれない。
すると、
本当はこんな生活じゃなく、飼っているネコともっと一緒にのんびりと家で仕事がしたいとつぶやいた。
本当はデパ地下で買ったお惣菜じゃなく、自分で料理して食べたいとつぶやいた。
本当は東京ではなく、沖縄やオーストラリアなど、海に近い場所に住みたいとつぶやいた。
みるみるうちに彼女は、やっと自分の求めていることを言葉にできた、というスッキリとした表情に変わっていった。
「でも、沖縄でお金を稼ぐのはむずかしい」
「いま仕事はやめられない」
「デパ地下でだって、自分が食べたいと思えるものが買える」
と、いろいろ理由をあげつらねながらも、本当に自分に目を向けられた瞬間の彼女は、あきらかに何か変化した。
どれだけの人が本当に自分が食べたいと思うものを食べているのだろう。
どれだけ多くの人が自分の本意とは違う生活をしているだろう。
そろそろ食べたいものを食べよう。
そろそろ自分の本意に沿った生活をしよう。
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虫はまずい人間にやってくる!?
- 2011.09.20 Tuesday
- 09:22
久々に外食でフレンチを食べた。
パイ包みの肉とかテリーヌとか、いかにもフレンチらしいガツンとしたものが私は好きであるが、昨日行ったレストランは、ガツンとくる本格派のうえコース料理でたったの3000円。
自分の中に入れたものが自分を作る。
あたりまえのことだが、このあたりまえをどれだけの人が忘れていることか!
おいしい料理とおいしいお酒は人を幸せにする。
反対に不味いご飯、不味い人間、不味い情報は体にも脳にも良くない。
たとえ触れても、自分の中に取り入れないほうがいい。
友人の紹介で昨晩初めて出会った人だが、なんと偶然にも「ゴミを土に返す発酵作業」の経験者。その話で盛りあがった。
そう言えば、最近読んだ吉田俊道著『生ごみ先生の元気野菜革命』の本は、目からウロコのオンパレード。
○虫は「まずい野菜」にやってくる
○病害虫の最大の原因は「土の未浄化」
○生長点を捨ててはいけない
(目次より)
などなど。
たとえば料理の下ごしらえでは、キャベツの芯、外葉、ニンジンの首(葉と根の境)は取り除くのが常道だが、この本ではそれらすべてを捨てずに調理する。これらは野菜の「生長点」で、細胞分裂が盛んで新しい葉や花や根をつくりだす生命力が凝縮された部分。食べなきゃ損であることがよくわかった。
この食改善プログラムを長崎県内の中学校で実践したところ、1週間でウンチが変わり、早寝早起きができるようになり、イライラが減り、疲れやすいだるいが解消され、集中力もアップ。2割強の126人の生徒がが35度台の低体温だったのが、32人に激減した。
低体温は新陳代謝を衰えさえ、さまざまな病気の引き金となる。日々体のなかで生まれるがん細胞は35度でもっとも増殖するというから、やはり低体温はこわい。
この食改善プログラムでは、市販のジュースはやめてお茶を飲む。市販のジュースに使われる白砂糖はミネラルがないばかりか、体内で代謝される際にカルシウム、ビタミン類を奪ってしまい、イライラなどの原因となる。
虫は「まずい野菜」にやってくるように、虫はまずい人間にやってくる!?
病害虫の最大の原因は「土の未浄化」であるように、病気は体と心の未浄化にある!?
など、この本ではいろんな気づきがあった。
昨晩のフレンチレストランの会話にもたくさんの気づきがあった。
やっぱりおいしい料理、おいしいお酒、おいしい会話、おいしい人間は、人をとても幸せにするものである。
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言葉で伝える力
- 2011.09.19 Monday
- 15:11
先週、子ども英語教室主催の「教育セミナー」を受けた。
「他所の子がうちに勝手に上がって、勝手に冷蔵庫のものを食べる」
といった相談から、
「宿題をやらない」
「やる気がない」
といった悩みに対して、傾向と対策を教えてくれるというもの。
セミナーの先生は、
「何かを変えたければ、何かを変えなければならない」
と言った。
あたりまえのことだが、ハッとした。
何かを変えなければ、何も変わらないのだ。
ハッとしたのは、上の階の子が息子に「オヤツ食べたいからお金ちょーだい」と言わせたり、「お茶飲みたいからちょーだい」と言わせたり、勝手に家に上がって来て冷蔵庫を開けてお茶を飲んだりすることに対して、どーせ言ってもしょうがいないと諦めて、何も言わずにここまで来たからだ。
パパが「言わなきゃ、わかない」と言った。
そうなんだけど、でも、どーせ言ってしょうがないと諦めてきた。
でも、確かに言わないと子どもはわからない。言わないより、言ったほうがずっとずっとましなのだ。
セミナーの先生は、子どもに何かを伝えるコツは、
「具体的に言う」
「理由を言う」
「実際にやってやり方を見せ、それをルールにする」
と教えてくれた。
そう、子どもは実際に目で見ないと、やり方がわからない。
やり方がわからないから、できない。
家で、上の子のことを息子たちと話をしながら、もしやうちの息子たちも同じようなことを他所でしているのではないか? と不安になった。
「だれかのうちに入るときは、勝手に入らない。入るときは『おじゃまします』と必ず言う。お茶を飲みたいときは、そのおうちの人に頼んで、飲んだら『ありがとう』と言う」
と教えた。
大人のあたりまえは、子どものあたりまえではない。
反抗期を迎えた子どもにも、「どーせ言ってもしょうがない」と諦めて何も言わないと、何も変わらない。
子どもはちゃんと親の話を聞いている。ちゃんと。
ただ反抗しているだけなので、して良いこと悪いことは、必ず子どもに伝えること。
やはり言葉って、大切だな、とあらためて感じた。端折ってはいけない。言わなくてもわかっているだろうと過信してはいけない。
ちゃんと言葉にして伝えなきゃ。
翌日、上の階の子がまた勝手に家に上がってきて、お茶を催促した。
飲み終わった後なんと、
「ありがとう」
と言うではないか!
横で長男が、「ほら、言えたでしょ!」と得意げに笑う。
どうやら息子がその子に、何かをしてもらったらありがとうを言わなければならないと教えたらしい。
いま世の中にはうんざりほどイヤなことがたくさんあるが、諦めてはいけない。
まずは言葉で言ってみる。
あれがダメ、これダメと非難したり愚痴を言ったりするのではなく、
「こんなふうにしたい」
という思いを実際に口にする。
それは思っている以上に世の中を良くしていくのかもしれない。
- 子育て
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歯みがきをしない自由
- 2011.09.15 Thursday
- 09:48
以前、編集を手がけた本が爆発的に売れたことがある。
新聞で全面広告を打ち、アマゾンではトップに!
この本のプロモーションで「話題本を作った編集者」として、最終的に100紙/誌近い取材を受けた。
そしてこの時、ある真実をみた。
マスコミは虚構である、と。
中身は非常にすぐれた良本であるのは確かだが、ほとんど話題にもなっていないうちから、
「いま女性のあいだで超話題の本!」とか、
「これを読まないとモテない!」とか、
「コレを読めば、あなたも恋愛の達人に!」みたいな扱われ方。
本当に読むだけで幸せになれるような気にさせられる。
今までテレビで扱われていたことは、こんなふうに実体のない虚構で、「いかにもすごい!」「買わなきゃ!」とずいぶんだまされてきたのがわかった。
さて、歯みがき。
本当に歯みがきは歯を健康に保つのだろうか?
商品を買わせるために、「歯を磨くのはあたりまえ!」とだましているのではないだろうか、と思うようになった。
というのは、以前出会った鍼の先生は、「私は歯を磨かない」と言った。
えっ! 虫歯になっちゃうよーと半信半疑だった。
その後、テレビである芸人さんが、「私は歯を磨かない」と言った。
えっ! この人も!? もしかして、歯みがきって必要ないのか??
さらに追い打ちをかけるように、おととい電話で話した人も「私は歯を磨かない」と言った。体が持つ自浄作用を信じている人で、どこまで本当か知らないが、ガンになったこともあるけど自分で治したとケロリと話す。本当かよー(笑)、と半信半疑ながらも、
えっ! やっぱりと妙に納得してしまった。
納得した理由は、以前たまたま使った歯ブラシが固すぎで、歯ぐきを傷つけ、口内炎になってしまった経験があるからだ。歯ブラシって、そんなに良いものでもないかもしれない、と薄々感じていたのだ。
「歯を磨くのはあたりまえ」ではないのかもしれない。
とするならば、「○○するのはあたりまえ」という常識は、実はこの世に一つもないのかもしれない。
そう気づいたら、なんだかすごく気持ちがラクになって、とっても自由な気分。
自由を手に入れるって、意外と簡単かもしれない。
- ホンモノの自由
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ゴミを土に返す発酵作業
- 2011.09.14 Wednesday
- 09:38
毎日毎日、ゴミが出る。
私は近くにゴミ箱がないと不安になる性分だが、紙ゴミ用のゴミ箱はないととくに困る。紙のゴミは、ポスティングされたチラシや小学校や保育園からの配布物など、毎日たくさん出る。
先日、広報誌を見てずっと気になっていた「生ゴミ堆肥化の利用法」の講習会に、ついに参加した。生ゴミを発酵分解して土に返すというものだ。
生ゴミだから臭いし、手間もかかるからすごく汚くて面倒な作業だと思いきや、いざ講習を受けてみたら、びっくりするくらい簡単!
「発酵促進剤」(自然界に存在する有用微生物群を米ぬか、糖蜜、くんたんと混ぜ、発酵・乾燥させたもの)の粉末を生ゴミにふりかけ、1週間ほど放置するだけ。ここで出た水分を500倍に薄めてトイレや洗面台に流すと、臭いをもとから断ってくれる。1000倍に薄めたものは液肥として植物にあげれば元気に育つ。
そして残りは土に返す。
発酵には以前から非常に興味があり、ある時、私は牛乳よりもチーズ、白菜よりキムチ、唐辛子よりもタバスコのほうが好きだということにハタと気づき、これらはみなすべて発酵食品だとわかったからだ。
キャベツも煮込んだものよりも、生で食べたほうが好きだし、とくに漬け物はちょっと酸味が出たくらいのほうがたまらなく好きなのだ。
いまではキャベツを買う時はいつも丸ごとで、ザワークラウトにする。ザワークラウトの酸味は酢ではなく乳酸発酵なのだ(市販のものより、自分で作ったほうが断然おいしいです)。
これは胃腸にもよく、お通じバッチリ、抗酸化作用もある。
野菜の皮にはファイトケミカルが豊富に含まれ、抗酸化作用が高い。真夏にナスやトマトが太陽の下でも干涸びずみずみずしくいられるのは、ファイトケミカルのお陰なのだ。
ごぼうもあのアクのなかにファイトケミカルが含まれるので、アク抜きは不要。
たとえば、ヒポクラテスは風邪の対処として柳の葉を処方していたらしいが、柳の樹皮から抗炎症作用を有するサリシンという成分が取りだされてアスピリンの開発につながったという歴史がある。おもしろい。
だからナスの皮、リンゴの皮などよく洗って汚れを洗い落としたら、皮ごと食べるのが若返りにつながる。出てしまったゴミは土に返して、またその土で野菜を育てる。
野菜作りは手間がかかって、私には無理と諦めていたが、なんだか土を作り始めたら、できそうな気がしてくるから不思議だ。
一歩何かをやり始めると、ずっと遠くに思えていたことと線でつながりを持ち始め、どんどんあとはその線に沿って進むだけ。
講習を受けてもうすぐ一週間。茶殻、コーヒーの豆かす、バナナの皮、玉ねぎのへたなど、捨てた生ゴミが日々、我が家の台所でゴミではなく資源に変換されていく。おもしろい!
もしかしたら来年のブログでは、「いま野菜を作ってます♪」なんて書いているかも!?
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ルールにこだわると離婚する!?
- 2011.09.13 Tuesday
- 08:21
英語教室では、英語を使ったさまざまなゲームをする。
What's this?
Do you have a cellphone?(ケータイ持ってる?)
Can you ride a unicycle? (一輪車に乗れる?)
など、
たくさんの質問を繰り広げながら、英語を身につけるアクティビティ。
先週は、「Who am I ?」というゲームをやった。
fan(うちわ)、flashlight(懐中電灯)、ladybug(てんとうむし)など、さまざまなアイテムを持ったキャラクターがいて、
I have a ladybug.
I don't have a flashlight.
などと、自分のキャラクターが持っているもの持っていないものを英語で説明しながら、「さて、私はだれでしょう?」を当てる遊びだ。
これは小学2年生向けのものだが、かなり盛りあがる。
わかった子は「I know!」と言って挙手する。
白熱してきて全員一斉に手を上げると、だれを指名するか迷い、
「Stone, paper, scissors. One, two, three!」のジャンケンで決める。
ジャンケンって、すごく便利だ。
この時、運を天に任せ、誰もがみな素直に神様の言う通りに従うから、もめない。
何度かやっているうちに、前にでて「Who am I?」を質問する生徒に、だれに当てさせるかを決めた。その時、
「私のほうが早く手を挙げたのに!」
「私はさっきから当てられていない!」
と一人の生徒からクレームが出て、すねてしまった。
この子は、以前もゲームに負けてすねて泣いた女の子だ。順番やルールや勝ち負けにすごくこだわる。
子どもはみなそういうものだが、この子は他のこよりもこだわりが強い。
アクティビティの目的は、ゲームを楽しみ、ゲームを通じて友だちとコミュケーションする能力を身につけ、自分の言葉で英語を話す力を伸ばすことにあるのだが、結局ルールや善悪にこだわりすぎると、楽しめないばかりか目的そのものが失われてしまう。
これを見ていて、まるで人生だな、と思う。
順番やルール、勝ち負け、善悪、常識などにこだわりすぎる(=真面目すぎる)と、他人の過ちが許せなくなって、「人生をおおいに楽しむ」という、人がこの世に生まれてきた目的を見失ってしまう。
自己啓発本などでよく言われるのは、他人の過ちや他人のやり方を「許しなさい」だが、許すってけっこう難しい。
もしかしたら、順番やルール、勝ち負け、善悪、常識などへのこだわり(=真面目さ)を放棄してみたらどうだろう。
でも、これもけっこう難しいか……。
以前テレビで、離婚経験のある芸人さんばかり集めたバラエティで、
「電車でお年寄りに席をゆずらない人を見たら、注意する?」
という質問があった。
ほとんどの人が「ゼッタイに許せない!」という怒りの反応。
招かれた心理カウンセラーの先生が、
「そういうタイプの人が離婚するでんす」
と言った時にハッとした。
ダンナがまっとうなことばかり言う堅物の男なんて絶対ヤダ!
部屋が散らかっているだの、食事には必ず味噌汁をつけろだの、玄関の靴をそろえろだの、ダンナにいちいち文句を言われたらたまらない。
と、そこでまたハッとする。
私はもしや、子どもたちにまっとうなことばかり言って叱る堅物ママではないだろうか!?
もし私が子どもだったら、そんな母親なんていやだ。
ジャンケンでは、自分が出した「チョキ」が相手の「グー」に負ければ、恨みっこなしで相手を許したり順番を相手にゆずったり大らかなになれる。
ジャンケンってすごい。
ジャンケンみたいに、物事を決定的に決められる何かがあれば、世の中、便利なのにな。
あっ、だったら、運を天に任せれば、世の中のもめ事は減るかも!
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